【グッと!地球便】ドイツ 世界でも数少ないプロのマリンバ奏者として活躍する息子へ届ける母の想い

2025.01.20

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今回の配達先は、ドイツ。世界でも数少ないプロのマリンバ奏者・布谷史人さん(45)へ、秋田県で暮らす母・きみ子さん(73)が届けたおもいとは―。


クラシックが身近にあるドイツ 教会の依頼で演奏することも

クラシックが身近にあり、教会で音楽を楽しむ文化があるドイツ。史人さんはソロコンサートでの活動に加え、教会の依頼で演奏することも多いといい、ある日も史人さんが住む田舎町・ビーレフェルトの教会では彼の演奏会が開かれていた。
演奏で使うのは、マレットと呼ばれるバチ。マレットを右手に2本、左手に2本持ち、音を奏でる。この日の演奏会では、夜の教会という幻想的な空間で「Over the Rainbow」などを披露した。

史人さんの自宅があるのは、町の中心部から車で10分ほどの場所。歯科医の家の一角をシェアしている。広々とした部屋の中央にはマリンバがあり、棚にはメーカーにオーダーして作った硬さや重さが違うマレットが大量に置かれている。毎朝、演奏の基礎的な動きを1時間半かけて繰り返すのがルーティーンだ。
マリンバは、同じ楽譜でも奏者によってその表現法が変わるそうで、史人さんは「僕はマリンバという楽器で、息を持って“歌うこと”がすごく大事だと思うし、この楽器を通して『音楽って奥が深いな』と思えた」と語る。


何気なく叩いたマリンバに魅了され「僕が僕らしくいられる場所」

7歳からピアノを始めた史人さんは、音楽がかかれば踊り出すような陽気な子どもだったが、周りとは馴染みづらく、学生生活では常に違和感を抱いていたという。そんな頃、音楽室にあったマリンバを何気なく叩くと、その音色に強烈に魅了された。「僕が僕らしくいられる場所」と感じた史人さんは、独学でマリンバを練習するようになる。さらに、中学生のときに大きな転機が。コンテストに出場すると、自分の演奏で観客がわっと沸いたのだ。この体験からマリンバへの情熱はより高まり、その後も独学で練習を重ねた。大学で音楽を学ぶ頃には、今のスタイルがほぼ完成。そしてアメリカ留学を経てプロデビューの後、2010年にドイツに拠点を移した。

「無我夢中でやってただけ」という史人さんだが、クラシックの土壌があるドイツでたちまち評価が高まり、ヨーロッパ中でその名が知られるように。現在は大学の講師も務め、ドイツ国立デトモルト音楽大学で世界でも珍しいマリンバ専門コースを教えている。5人の学生全員が、史人さんの授業を受けたいと世界中からこの大学にやってきたという。

こうしてマリンバで生きるという夢を叶えた史人さんだが、昨年亡くなった父は音楽家になることに猛反対だった。初めてのコンサートを地元の秋田で開いたときも、父は観客席に入ってくれなかったという。
一方、母・きみ子さんは海外の公演には行ったことがないといい、今回ドイツで活動する息子を見て、「もう1回、生で聴きたいですね。生が一番なんですよ」とその音色を懐かしむ。また、かつて父・重治さんがかたくなに史人さんのコンサート会場に入ろうとしなかったことについては、「いつも入らなかったんですよ…」と、毎回のことだったと振り返る。


マリンバと出会い自分の居場所を見つけた息子へ、母からの届け物は―

マリンバとの出会いで自分の居場所を見つけ、たったひとり音楽家の道を切り開いてきた息子へ、母からの届け物は24年前、史人さんの地元・秋田で初めて開いたコンサートのチラシ。さらに、添えられた母の手紙には「反対してたお父さんも、あの時はお母さんとチラシを配ったり、町中にポスターを貼ってもらったりしたけど、お父さんはコンサートの会場には入ることが出来なかった。お母さんはわかってたけど、本当は史人の演奏を見ると感激して泣いてしまうから入れなかったんだよ。お父さんはいないけれど、きっとどこかで見ていると思います」と綴られていた。
当時の両親の様子や、父が会場に入らなかった理由を知り、思わず涙があふれる史人さんは「両親は僕のことで苦労が多かったし、アメリカやドイツにも来たことがなかったので演奏を見せることができなかった。こういう形で、少しでも親孝行できる機会があったことに心から感謝します」と今の想いを伝える。そして、「このチラシを見ながら練習したら、また気持ちを新たにできるのかな…」と笑顔で思い出の1枚に見入るのだった。
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