【グッと!地球便】イタリアで問題化している荒れ果てた畑を再生 オリーブ農家として奮闘する息子へ届ける父の想い
2025.01.14
今回の配達先は、イタリア。ここでオリーブ農家として奮闘する近藤佳裕さん(41)へ、愛知県で暮らす父・邦治さん(77)が届けたおもいとは―。
オリーブの名産地・トスカーナ州で畑を借り、オリーブオイルをつくる
佳裕さんの畑があるのは、オリーブの名産地・トスカーナ州。6年前にオリーブオイルの会社を立ち上げた佳裕さんは、東京ドームとほぼ同じ広さの土地を借り、約800本のオリーブの木を育てている。オリーブオイルのブランド名は「OliOlive(オーリ オリーブ)」。その爽やかな香りのオイルは、国際品評会で3年連続イタリア部門ベスト5に選出。ミシュランの星付きレストランでも使われるなど高く評価されている。
収穫期を迎えたこの日、佳裕さんは朝8時から現地の日本人スタッフと共に作業を始める。最近は日本でもオリーブ栽培に挑む農家が増えていて、スタッフの中には日本人研修生の姿も。専用の機械を使って実を落とし、地面に敷いたネットや布で回収するという伝統的な方法で、紫色の完熟した実と若い緑色の実をまとめて収穫していく。オイルの味は熟した実と若い実の比率によって決まるといい、佳裕さんはスパイシーでストロングな風味がする緑の実を多めに収穫しているそう。また実が熟しすぎると理想の味にならないため、2週間で800本全ての実を収穫する。こうして夕方までひたすら作業して、1日で採れる量は多い時で約250キロ、オイルにすると25リットル分ほど。しかもオリーブオイルは鮮度が命なので、収穫した実はなるべく早く隣町にある搾油所まで運び入れる。
手塩にかけて育てた実が腕利きの職人によって絞られると、美しいオリーブオイルが完成。その場で試飲した佳裕さんは、「最高です」と納得の表情を浮かべた。
イタリア視察で目の当たりにしたオリーブ農家が抱える深刻な問題
名古屋市内で育った佳裕さんは根っからの都会っ子で、実は6年前まで農業の経験はなかった。いつか起業したいと漠然と思いながらも、やりたいことが見つからないまま大学を卒業し一般企業に就職。そしてそのとき、静岡県で農家を支援する事業に関わったことが大きな転機になった。事業の一環でイタリアを視察した佳裕さんが目にしたのは、現地のオリーブ農家が抱える深刻な問題。日本以上に少子高齢化が進むイタリアでは跡取り不足で廃業する農家が相次ぎ、手入れも収穫もされない耕作放棄地が社会問題になっていたのだ。「日本で新しい木を植える活動も大事だけど、ここで大きくなった木を維持することも大事」と、ついにやりたいことを見つけた佳裕さんは、2018年にイタリアに拠点を移し地元のオリーブ農家で修業。1年後、荒れ果てた畑を借りてオリーブの栽培をスタートしたのだった。
こうして畑の再生事業を起業し、「今のイタリアできちっとビジネスができたら、25年後の日本の農業で戦える人材が作れるんじゃないか」と佳裕さん。培ったこのノウハウを伝え、日本でもオリーブ農家を増やすことが今の目標だ。
順調に見えるオリーブ事業だが、4年前には大きなピンチが。オリーブオイルを売り出そうとした矢先、世界がコロナ禍になり事業が完全にストップしてしまったのだ。一時は倒産も考えたが、なんとか再開して2年。最近は日本の百貨店の催事に出店するなど、ようやく上昇のきっかけを掴んだところで、コロナでの損害を取り戻そうと仕事に追われている。
そんな中、気がかりなのは脳梗塞で体が不自由になった母・和子さんのこと。イタリアへ行くときも背中を押してくれた母は現在、父・邦治さんのサポートを受け懸命に病院でリハビリに励んでいる。
今回、イタリアで奮闘する息子の姿を見た邦治さんは、「妻はいつもテレビは喜んで見ていますし、この映像も楽しみにしていると思います」と和子さんの気持ちを代弁する。さらに、初めて佳裕さんの活動やその志を知り、「自分の息子にしてはよく決断したなと思って…」と感心する。
起業して6年。正念場を迎えている息子へ、父からの届け物は―
念願だった起業を果たして6年。大きな危機を経て、まさに正念場を迎えている息子へ、父からの届け物は母・和子さんのビデオレター。一生懸命息子へ想いを伝える母の映像を見た佳裕さんは、喜びながらも「父に任せっきりになっているので、僕もイタリアの畑を任せられる人を作りださなければいけないんですが…任せられる状態にして、両親の近くにいる時間をもっと作れるようにしたいですね」と展望を語る。そして「『あと2年』というと延々と言い続けそうなので、1年でも早く」と実現に向け、改めて奮起するのだった。
オリーブの名産地・トスカーナ州で畑を借り、オリーブオイルをつくる
佳裕さんの畑があるのは、オリーブの名産地・トスカーナ州。6年前にオリーブオイルの会社を立ち上げた佳裕さんは、東京ドームとほぼ同じ広さの土地を借り、約800本のオリーブの木を育てている。オリーブオイルのブランド名は「OliOlive(オーリ オリーブ)」。その爽やかな香りのオイルは、国際品評会で3年連続イタリア部門ベスト5に選出。ミシュランの星付きレストランでも使われるなど高く評価されている。
収穫期を迎えたこの日、佳裕さんは朝8時から現地の日本人スタッフと共に作業を始める。最近は日本でもオリーブ栽培に挑む農家が増えていて、スタッフの中には日本人研修生の姿も。専用の機械を使って実を落とし、地面に敷いたネットや布で回収するという伝統的な方法で、紫色の完熟した実と若い緑色の実をまとめて収穫していく。オイルの味は熟した実と若い実の比率によって決まるといい、佳裕さんはスパイシーでストロングな風味がする緑の実を多めに収穫しているそう。また実が熟しすぎると理想の味にならないため、2週間で800本全ての実を収穫する。こうして夕方までひたすら作業して、1日で採れる量は多い時で約250キロ、オイルにすると25リットル分ほど。しかもオリーブオイルは鮮度が命なので、収穫した実はなるべく早く隣町にある搾油所まで運び入れる。
手塩にかけて育てた実が腕利きの職人によって絞られると、美しいオリーブオイルが完成。その場で試飲した佳裕さんは、「最高です」と納得の表情を浮かべた。
イタリア視察で目の当たりにしたオリーブ農家が抱える深刻な問題
名古屋市内で育った佳裕さんは根っからの都会っ子で、実は6年前まで農業の経験はなかった。いつか起業したいと漠然と思いながらも、やりたいことが見つからないまま大学を卒業し一般企業に就職。そしてそのとき、静岡県で農家を支援する事業に関わったことが大きな転機になった。事業の一環でイタリアを視察した佳裕さんが目にしたのは、現地のオリーブ農家が抱える深刻な問題。日本以上に少子高齢化が進むイタリアでは跡取り不足で廃業する農家が相次ぎ、手入れも収穫もされない耕作放棄地が社会問題になっていたのだ。「日本で新しい木を植える活動も大事だけど、ここで大きくなった木を維持することも大事」と、ついにやりたいことを見つけた佳裕さんは、2018年にイタリアに拠点を移し地元のオリーブ農家で修業。1年後、荒れ果てた畑を借りてオリーブの栽培をスタートしたのだった。
こうして畑の再生事業を起業し、「今のイタリアできちっとビジネスができたら、25年後の日本の農業で戦える人材が作れるんじゃないか」と佳裕さん。培ったこのノウハウを伝え、日本でもオリーブ農家を増やすことが今の目標だ。
順調に見えるオリーブ事業だが、4年前には大きなピンチが。オリーブオイルを売り出そうとした矢先、世界がコロナ禍になり事業が完全にストップしてしまったのだ。一時は倒産も考えたが、なんとか再開して2年。最近は日本の百貨店の催事に出店するなど、ようやく上昇のきっかけを掴んだところで、コロナでの損害を取り戻そうと仕事に追われている。
そんな中、気がかりなのは脳梗塞で体が不自由になった母・和子さんのこと。イタリアへ行くときも背中を押してくれた母は現在、父・邦治さんのサポートを受け懸命に病院でリハビリに励んでいる。
今回、イタリアで奮闘する息子の姿を見た邦治さんは、「妻はいつもテレビは喜んで見ていますし、この映像も楽しみにしていると思います」と和子さんの気持ちを代弁する。さらに、初めて佳裕さんの活動やその志を知り、「自分の息子にしてはよく決断したなと思って…」と感心する。
起業して6年。正念場を迎えている息子へ、父からの届け物は―
念願だった起業を果たして6年。大きな危機を経て、まさに正念場を迎えている息子へ、父からの届け物は母・和子さんのビデオレター。一生懸命息子へ想いを伝える母の映像を見た佳裕さんは、喜びながらも「父に任せっきりになっているので、僕もイタリアの畑を任せられる人を作りださなければいけないんですが…任せられる状態にして、両親の近くにいる時間をもっと作れるようにしたいですね」と展望を語る。そして「『あと2年』というと延々と言い続けそうなので、1年でも早く」と実現に向け、改めて奮起するのだった。
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