未来のエンターテインメントのために ~吉本問題に思うこと~

2019.08.02

 私の専門は、「メディアエンターテインメント論」と言います。新聞等にコメントを寄せる時は、紙面のスペースの関係で、「メディア研究」とかに省略されることも結構あります。長いですもんね(笑)。それでも、放送マンから大学教員に転じて17年が過ぎ、コツコツとやってきたせいでしょうか、今ではきちんと「メディアエンターテインメント論」とご紹介いただくことが増えました。
 ざっくり申し上げれば、「メディアエンターテインメント」とは、「エンターテインメントの見地からメディアを研究する」という事です。大学時代、「マスコミ論」とか「メディア論」とかを受講して、あまりにも自分のイメージしていた「マスコミ」や「メディア」の講義とかけ離れていて、ほどなく出席しなくなった苦い経験があります。自分の講義は、社会の「今」とつながる話を学生にしたい、真剣にエンターテインメントと向き合うことで、教え子たちが、メディアに更なる興味を持ってくれるような手伝いをしたい、日々そんなことを考えながら教壇に立っています。
 エンターテインメントは、政治や経済のジャンルと異なり、社会でのステイタスは、今も決して高いとは言えず、時として人々から軽視されがちです。けれど、それは違うと思うのです。放送マンから大学教員に転じた理由のひとつに、「エンターテインメントの社会的地位を上げたい」という思いがありました。17年やって参りましたが、なかなか道は険しいです。

 そんな折、皆さんよく御存じの「吉本闇営業問題」が起こりました。私がエンターテインメントを専門にしていることもあるのでしょう、本当に数多くのメディアから取材依頼を頂戴しています。思うところあって、今回の件での取材対応は、「活字メディア」に限らせていただいています。もちろん、私の専門の「核」は放送であります。ですが、メディアにはそれぞれに特性がありまして、日に日に刻々と流れが変わる事象の場合、発信側はその渦に飲み込まれがちになります。そんな中、できるだけ、冷静に、客観的にコメントするという行為に適しているのは、放送よりも活字だと考えております。どうぞご理解くださいませ。(誰に向かって語っているのでしょう、笑)

 先日発売された「AERA」に、こんなコメントを寄せました。「政治や経済と違い、お笑いは『しょせん』という言葉を付けられて語られることがあります。だからこそ、行政などに認められると喜んでしまうわけです」(『安倍政権下で権力に急接近する吉本興業 権力べったりは笑えない』8月5日号)
 反社会的勢力とつながりをもった芸人たちの件に端を発して、今、人々は吉本興業に対して厳しい目を向けています。二つの問題を切り離して考えるべきと主張される方の思いも十分理解できるのですが、それぞれは決して無縁ではありません。今回の件は、お笑い界の出来事に留まらず、さまざまな要素が組み込まれ、今の社会が抱える諸問題の縮図のような様相を呈してさえいるのです。

 関西では特に、「早くいつものように笑いたい」という声が高まってきました。私も全く同じ思いです。ですが、根本的な解決をせず、ぬるま湯的な幕引きを図ろうとすれば、お笑いファンは一気に離れていくことに繋がります。「しょせんお笑いだから」という声の元、冷ややかな視聴者たちの視線にさらされることになるのが、なんの罪もない、日々お笑いと真剣に向き合っている芸人たちであってはなりません。吉本所属だけでなく、芸人たちが総じて社会から極めて軽んじられることになる未来は、私は絶対見たくありません。

 お笑いは素晴らしい、エンターテインメントは社会にとってかけがえのないものです。エンターテインメントを研究する身として、いえ、一お笑いファンとして、抜本的な改革を強く望んでいるところです。

執筆者プロフィール
影山貴彦
同志社女子大学メディア創造学科教授
(メディアエンターテインメント)
コラムニスト
元毎日放送(MBS)プロデューサー・名誉職員
ABCラジオ番組審議会委員長
上方漫才大賞審査委員
著書に「テレビドラマでわかる平成社会風俗史」、「テレビのゆくえ」、
「おっさん力(ぢから)」など
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