【グッと!地球便】ドイツ・ミュンヘン 逆境を乗り越え強く生きる製菓マイスターの娘へ届ける家族と亡き父の想い

2025.03.17

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今回の配達先は、ドイツ・ミュンヘン。製菓マイスターの岡田かな子さん(52)へ、兵庫県で暮らす母・啓子さん(81)と姉のその子さん(58)、いち子さん(56)が届けたおもいとは―。


ミュンヘンで20周年を迎える人気のケーキ店を経営

ミュンヘン市内の閑静な住宅街にあるかな子さんの店「tanpopo(タンポポ)」は、今年で20周年を迎える人気のケーキ店。地元の常連客を中心に、連日多くの人で賑わっている。
タンポポの商品の特徴は、「日本とドイツの混合」だというかな子さん。例えば、ドイツ伝統の焼き菓子・レープクーヘンはショウガ入りで、外側にユズと抹茶チョコレートをかけてアレンジ。抹茶味のシュトーレンもあずきが入ったオリジナルだ。そんな抹茶を中心とした和の食材が、幅広い年齢層から支持されている。


偉大な父の反対を押し切ってドイツへ 辛い時期の心の支えは姉との文通

かな子さんはケーキの製造から接客まで全体を統括し、14人の従業員を抱える店の大黒柱。日本人ながら、ドイツの職業制度における最高職位であり、経営者としての権限が認められる国家資格「マイスター」の称号を取得している。

そんなかな子さんの実家は、江戸時代から続く老舗呉服店で、3人姉妹の末っ子として生まれた。かつて家には丁稚(でっち)がいて、その1人がお菓子好きだったことから、かな子さんがゼリーを作ってあげたという。それを喜んでくれた笑顔が忘れられず、中学・高校になるとケーキを作っては周囲にふるまうように。
そんな中で出会ったのが、一冊の本。ドイツのお菓子について書かれた本にあったイチゴのケーキがどうしても食べたかったかな子さんは、短大卒業後ドイツに留学すると心に決める。しかし、父親は猛反対。実は、父・一衛さんは直木賞の選考対象になるほどの小説家で、かな子さんにとっては距離を感じる偉大な存在だった。それでも反対を押し切ってドイツへ渡ると、ホテルなどでの修業を経て、31歳のときにマイスターを取得。翌年、念願の独立を果たしたのだった。

実は過去に一度だけ、大好きなケーキ作りから離れようと思ったことがあった。ドイツのホテルで働き出して2年目の頃、交際していたドイツ人男性との間に妊娠が発覚。このときかな子さんは未婚のシングルマザーとして生きることを選択する。そして1人で幼い娘を抱えながら、マイスターになりたい、でも日本に帰るべきか…人生で一番思い悩んでいたこの時期に心の支えとなったのが、姉との文通。自分の気持ちをとにかく文章にすることが救いになったと振り返る。
一方、姉たちは、ドイツでのケーキ作りの日々が綴られていた妹の手紙の一部を日本の新聞社に持ち込むことに。すると、異国の地で奮闘する日本人パティシエの姿が珍しく思われ、いつしかかな子さんは新聞で連載を持つようになったという。

夫のハインツさんとは娘の亜実子さん(26)が2歳のときに出会い、23年前に結婚。亜実子さんは就職して巣立ったため、今はハインツさんと2人で暮らしている。交際当初、かな子さんはマイスター取得のため猛勉強している最中で、ハインツさんが亜実子さんの面倒を見てくれていたという。
自宅の一角には、亡き父の写真も。かな子さんが新聞の執筆を始めてから小説家の父とは少しずつ距離が縮まったと感じていたが、そんな頃、父は帰らぬ人となった。

ドイツでの娘の姿や店を見るのは初めてだという母・啓子さん。姉のその子さんも、「頑張ってるなと思って…」と涙を浮かべる。またお菓子づくりのきっかけが、実家の呉服店での出来事だったということで、「オーブントースターでクッキーをこまめに焼いてくれて、お茶の時間にみんなで食べたり。楽しかったですよ」と当時を回想する。


ドイツでタンポポのように強くたくましく生きる娘へ、家族からの届け物は―

ドイツに渡って30年。逆境を乗り越え、タンポポのように強くたくましく生きるかな子さんへ、日本の家族からの届け物は父が愛用していた万年筆。姉たちからの手紙には、父はいつもかな子さんを気にかけていて、特に新聞の連載を楽しみにしていたことが綴られていた。それを涙ながらに読んだかな子さんは、「私は父からの愛情がすごく薄いと思っていたけど、父なりに思ってくれていたんだなと今、実感しています。愛を注いでくれていたんだって思うと、これからの人生が違ってきますね…」としみじみ喜びを語るのだった。
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