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【グッと!地球便】イタリア オペラの本場ミラノで、有名オペラ歌手を指導する「コレペティトール」になった息子へ届ける父の想い
2025.02.17
今回の配達先は、イタリア。ここでコレペティトールとして奮闘する天雨航平さん(28)へ、日本で暮らす父・裕薫さん(54)が届けたおもいとは―。
大先輩を指導するコレペティトールは超難関スカラ座・アカデミアを卒業したばかり
コレペティトールとは、オペラ歌手の個人練習には欠かせない存在で、オーケストラの代役としてピアノで公演の演目を伴奏しながら、歌手に発声法や楽曲の意図などを細かく指導するという仕事。航平さんはそんなオペラを陰で支える裏方として、オペラの本場であり、世界最高峰のオペラハウス・スカラ座があるミラノで活動している。
実はつい最近まで、世界トップレベルの難関であるスカラ座・アカデミアの研修生としてコレペティトールの勉強をしていた航平さん。2024年末に2年間のコースを終えて卒業したところだ。
そんな彼にレッスンを依頼するのは、世界中を飛び回るオペラ界の若きスーパースターや世界で活躍する指揮者など。目上の大先輩ばかりだが、航平さんは臆することなく指導を行う。
ピアニストの夢を諦めかけていた時、偶然見たオペラでミラノ行きを決意
航平さんがピアノを習い始めたのは、6歳のとき。いつしかピアニストが夢となり音楽大学進学を心に決めたが、父子家庭で2人暮らしをしていたサラリーマンの父からは反対され続けたという。そこで父を説得し、一発勝負を条件に音大のピアノ学科を受験。無事合格したものの、入学後に受けたピアノの実技試験は散々な結果だった。
夢を諦めかけていたある時、友人から偶然誘われたのが、オペラの公演。舞台を見た瞬間「これをやりたい」と衝撃を受け、オペラの本場、さらに本場でもトップのスカラ座に行くしかないと決意。音大を卒業すると、超難関のスカラ座・アカデミアの受験勉強のためミラノへ渡った。そしてイタリア語もままならない中、音楽院に入って2年間猛勉強し、見事アカデミアに合格。昨年末、晴れてコレペティトールとなった。
とはいえ、すぐにスカラ座から仕事をもらえるわけではなく、いつかオファーをもらえるその日までは自力で実績を重ねなければならない。
帰宅後、料理を作る間や食事中にも勉強のため楽譜に目を通す。現在取り組んでいる演目は「蝶々夫人」。練習のとき、歌手が本番さながらの伴奏で歌えるよう、オーケストラでは13の楽器が奏でる音色をピアノだけで忠実に再現する。そこで、オーケストラ用とピアノ伴奏用の楽譜を見比べては、足りない楽器の音をピアノの楽譜に書き足していく。毎日作業は夜中3時頃まで及ぶというが、それでも航平さんは「自分がいないと歌手が困るし、自分ができなかったらそこでキャリアが終わる。特に『スカラ』の名前を名乗っているとその恐怖がある。スカラのブランドを背負っているということは、みんなが完璧を求めているということなので」と手を止めることはない。
あるときやってきたのは、世界最高峰のオペラハウス・スカラ座。この2年、アカデミアの研修生として何度も足を運んだ場所だ。実は、指揮棒を振ることもコレペティトールの仕事のひとつで、劇場での練習では指揮を任される機会も増えてきた。そのため、航平さんの中では、指揮者になりたいという新たな思いが芽生えてきたという。今はまだ道半ばだが、「次の10年は外部できちんと実績をつくる。その後の10年はスカラに戻る。次にスカラに戻るときは、もっと自由に『俺がマエストロ(指揮者)だ』という感じでできたらうれしいし、そこまで行きます」と力強く語る。
ミラノでの航平さんの姿を見た父・裕薫さんは「息子らしいですね。辛そうだけどずっと笑ってるので、楽しくやっているんだなと思って安心しました」とほっとした様子。ただ、今でも仕事に反対する気持ちはゼロではないと明かし、「この先も食べて行ける保証はないので、本人も不安なんだろうなと思います」と息子の心情を推し量る。
スカラ座という名を背負い、夢に向かって突き進む息子へ、父からの届け物は―
世界トップレベルのスカラ座という名を背負い、夢に向かって突き進む息子へ、父からの届け物は指揮棒。父が普段なら決して足を踏み入れない楽器店をいくつもはしごして選び抜いた1本だ。意外な届け物を航平さんは笑顔で受け取るが、父が息子への想いを綴った手紙を読むと一変。ハンカチで目を押さえた航平さんは、「しんどかった、この6年…」と思わず本音を吐露する。そして「僕をつくってくれたのはお父さんだから、これからのお父さんの幸せは俺がつくってあげたい」と、父に精一杯の感謝を伝えるのだった。
大先輩を指導するコレペティトールは超難関スカラ座・アカデミアを卒業したばかり
コレペティトールとは、オペラ歌手の個人練習には欠かせない存在で、オーケストラの代役としてピアノで公演の演目を伴奏しながら、歌手に発声法や楽曲の意図などを細かく指導するという仕事。航平さんはそんなオペラを陰で支える裏方として、オペラの本場であり、世界最高峰のオペラハウス・スカラ座があるミラノで活動している。
実はつい最近まで、世界トップレベルの難関であるスカラ座・アカデミアの研修生としてコレペティトールの勉強をしていた航平さん。2024年末に2年間のコースを終えて卒業したところだ。
そんな彼にレッスンを依頼するのは、世界中を飛び回るオペラ界の若きスーパースターや世界で活躍する指揮者など。目上の大先輩ばかりだが、航平さんは臆することなく指導を行う。
ピアニストの夢を諦めかけていた時、偶然見たオペラでミラノ行きを決意
航平さんがピアノを習い始めたのは、6歳のとき。いつしかピアニストが夢となり音楽大学進学を心に決めたが、父子家庭で2人暮らしをしていたサラリーマンの父からは反対され続けたという。そこで父を説得し、一発勝負を条件に音大のピアノ学科を受験。無事合格したものの、入学後に受けたピアノの実技試験は散々な結果だった。
夢を諦めかけていたある時、友人から偶然誘われたのが、オペラの公演。舞台を見た瞬間「これをやりたい」と衝撃を受け、オペラの本場、さらに本場でもトップのスカラ座に行くしかないと決意。音大を卒業すると、超難関のスカラ座・アカデミアの受験勉強のためミラノへ渡った。そしてイタリア語もままならない中、音楽院に入って2年間猛勉強し、見事アカデミアに合格。昨年末、晴れてコレペティトールとなった。
とはいえ、すぐにスカラ座から仕事をもらえるわけではなく、いつかオファーをもらえるその日までは自力で実績を重ねなければならない。
帰宅後、料理を作る間や食事中にも勉強のため楽譜に目を通す。現在取り組んでいる演目は「蝶々夫人」。練習のとき、歌手が本番さながらの伴奏で歌えるよう、オーケストラでは13の楽器が奏でる音色をピアノだけで忠実に再現する。そこで、オーケストラ用とピアノ伴奏用の楽譜を見比べては、足りない楽器の音をピアノの楽譜に書き足していく。毎日作業は夜中3時頃まで及ぶというが、それでも航平さんは「自分がいないと歌手が困るし、自分ができなかったらそこでキャリアが終わる。特に『スカラ』の名前を名乗っているとその恐怖がある。スカラのブランドを背負っているということは、みんなが完璧を求めているということなので」と手を止めることはない。
あるときやってきたのは、世界最高峰のオペラハウス・スカラ座。この2年、アカデミアの研修生として何度も足を運んだ場所だ。実は、指揮棒を振ることもコレペティトールの仕事のひとつで、劇場での練習では指揮を任される機会も増えてきた。そのため、航平さんの中では、指揮者になりたいという新たな思いが芽生えてきたという。今はまだ道半ばだが、「次の10年は外部できちんと実績をつくる。その後の10年はスカラに戻る。次にスカラに戻るときは、もっと自由に『俺がマエストロ(指揮者)だ』という感じでできたらうれしいし、そこまで行きます」と力強く語る。
ミラノでの航平さんの姿を見た父・裕薫さんは「息子らしいですね。辛そうだけどずっと笑ってるので、楽しくやっているんだなと思って安心しました」とほっとした様子。ただ、今でも仕事に反対する気持ちはゼロではないと明かし、「この先も食べて行ける保証はないので、本人も不安なんだろうなと思います」と息子の心情を推し量る。
スカラ座という名を背負い、夢に向かって突き進む息子へ、父からの届け物は―
世界トップレベルのスカラ座という名を背負い、夢に向かって突き進む息子へ、父からの届け物は指揮棒。父が普段なら決して足を踏み入れない楽器店をいくつもはしごして選び抜いた1本だ。意外な届け物を航平さんは笑顔で受け取るが、父が息子への想いを綴った手紙を読むと一変。ハンカチで目を押さえた航平さんは、「しんどかった、この6年…」と思わず本音を吐露する。そして「僕をつくってくれたのはお父さんだから、これからのお父さんの幸せは俺がつくってあげたい」と、父に精一杯の感謝を伝えるのだった。
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