「爪痕を残す」はよい意味?よくない意味?テレビで気になる言葉について専門家に聞いてみた

2022.07.01

「爪痕を残す」はよい意味?よくない意味?テレビで気になる言葉について専門家に聞いてみた
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テレビのバラエティーで若手芸人さんが大きな笑いを生んだ時に「爪痕を残した」と表現することがあります。この時に使われる「爪痕を残す」は「成果をあげる」といった意味で認識されているでしょう。ところが、ある年代の人たちにとって「爪痕を残す」は、「災害の爪痕が残る現場」といったように被害やよくない影響を表す言葉として理解されています。

このように、テレビの中で使われている言葉に対して「ん?」と思うことはしばしばあります。そこで、テレビで気になる言葉について、「情報ライブミヤネ屋」校閲担当であり、『読売テレビ放送用語ガイドライン第四版』や『現代用語の基礎知識』の「日本語事情」を執筆されている道浦俊彦さんに質問してみました。

【企画 : 藤生朋子 / 取材・文 : 鈴木しげき】

ほうっておいても言葉は変わるもの。だからメディアは…!


――「爪痕を残す」のようにテレビが言葉の意味を変えたり、意味を広げたりすることがありますが、あえて聞きます。こういった現象は良いことなんですか? 悪いことなんですか?

そもそも「良いか悪いか」の二択で決めつけるということが良くないです……と決めつけてはいけないので、私は、良くないと思います。「白か黒か」の間には「グレー」があります。「真っ白」と「真っ黒」以外は(濃淡はありますが)全て「グレー」です。

また「テレビが言葉を変えた」というような大それたことを思ったことはありません。

テレビは「メディア」です。「メディア」の語源は「中間」。ステーキの「ミディアム・レア」の「ミディアム」と同じです。Tシャツの「S・М・L」の「М」です。そして、「何の中間か?」と言うと「取材対象者と視聴者の中間・真ん中」、そこに立って「仲介する」ということ。だから「媒体」なのです。

たしかに「マス」の「メディア」であるテレビは、「マス(=大量の情報)」を「マス(=多くの人々)」に媒介し伝えるので、その影響力はマスマス大きいです。ある言葉が、一瞬にして全国津々浦々にまで、あるいは全世界に届いてしまうのですから。100~150年前は、言葉の伝播のスピードは「1年に1キロメートル」と言われました。その時代から考えると、隔世の感があります。

そして、「メディア」は「媒介」すると同時に「増幅」もする。「情報のスピード」は「単位時間当たりの情報量」ですから、「情報量が多い」ということは「速く伝わる」ということです。つまり「情報の加速器」が「マスメディア」です。

しかし、言うまでもなく「言葉」は「コミュニケーション・ツール」です。「意味を伝える道具」です。その「言葉」の持つ「意味」が加速して変化してしまうと、コミュニケーションは成り立たなくなります。これまでは「30年=1世代」かけて徐々に変化して浸透していった「言葉の変化」が、最近は、もっとずっと短い期間で「変化」を起こすようになっています(もちろん、全ての言葉ではありませんが)。世代間のコミュニケーション不全は「世の中の変化の速さによるもの」で、その象徴が「言葉」でしょう。

ですから、「マスメディア=情報の加速器」であるテレビは、言葉の変化の最先端に立って「さらに加速」しようとはせず、できるだけ後ろから付いて行くことによって、幅広い世代に情報を共有できるようにすることが大切と考えます。ほおっておいても、言葉は変わっていくのですから。

言われてみれば、「三足のわらじ」「四刀流」…気になる


――なるほど。道浦さんのメディアにおける言葉に対する考え方はわかりました。では、道浦さんが個人的に最近気になっている言葉はありますか?

気になった言葉は私のブログで書いていますが、そこから拾い上げると、「二刀流・三足のわらじ・四刀流」「すすぐとゆすぐ」「マチかチョーか」「煙まみれ」「過半数」「武器と兵器」「警察へ通報? 警察への通報?」……など挙げればきりがないですね。
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時事問題で言うと、大谷翔平選手の活躍で「二刀流」が流行語となり、そのおかげで「二足のわらじ」はあまり使われなくなり、何でも「〇刀流」。もともと「二足のわらじ」は、「泥棒と刑事」のように「相反する二つの職業」に就くことを言ったので、単に「職業の数」だけを言うのに使うのは、本来は間違い。その意味では「二刀流」「三刀流」と言うほうが正しいのかもしれません。最近は「仕事の種類」に加え、女性の場合「母と妻(とタレント業と社長業)」のように「家族の中での役割」も含んで言うようになってきている気もします。これは「女性の社会進出」と「家事分担の仕事としての認識」が影響しているのかもしれません。

――若者がよく使う「やばい」もそうですが、意味が広がっていくことはありますよね。テレビが大きく影響していると思いますか?

「やばい」の意味をテレビが広げたかどうかは分かりません。自然に広がったのでしょう。言葉は変わるものですから。

マスメディアはコミュニケーションとしての言葉に配慮を


――たとえ誤用であろうが、広がってしまうということは、しっくりくる感覚もあると言えそうですが、テレビでは基本的に使わないほうがいいと考えますか?

「誤用」というのは「規範(正解)」があって、それに外れたものを指しますが、正解が「1つではない」という中では「誤用」とは言えません。あくまで「言葉の変化」です。

ただ、多くの人が「たった一つの正解」と思っているものと違う意味の使い方を「マスメディア」のテレビが行うと、コミュニケーションが取れなくなる恐れがあるので、できるだけ避けるべきでしょうね。

「テレビ番組」と一口で言ってもニュース・報道から情報番組、スポーツ、バラエティー、お笑い番組など様々なジャンルがあるので、画一的に「この言葉は使ったほうがいいか、どうか」は決められないでしょう。ケース・バイ・ケースです。もちろん、放送倫理に反するような言葉や文脈での使い方はダメですが。

――道浦さんはアナウンサーとしてのキャリアもありますが、アナウンサーはこういった本来とは違う意味で使われる言葉に対して、どう向き合っていくべきだと思いますか?

アナウンサー、特に局アナは「言葉の専門家」であると、一般視聴者には思われてきたので、「規範」から外れる・はみ出す言葉を使うと批判を浴びることもあり、注意が必要でしょうね。

……と、回答してくれた道浦さん。テレビは「情報の加速器」である以上、変わっていく言葉をさらに加速しようとはせず、できるだけ後ろから付いて行くのがよいとの考えを示してくれました。確かに、世代の断絶などが問題とされる中、幅広い世代に情報を共有できるようにテレビがその役割を果たすのは大事なことだと思いました。道浦さん、ありがとうございました。
【道浦 俊彦(みちうら・としひこ)】
1961年三重県生まれ。1984年読売テレビにアナウンサーとして入社。現在は報道局で『情報ライブ ミヤネ屋』でテロップや原稿の校閲を担当するかたわら、98年から日本新聞協会新聞用語懇談会委員。著書に『「ことばの雑学」放送局』(PHP文庫)、『スープのさめない距離~辞書に載らない言い回し56』(小学館)、『最新!平成ことば事情』(ぎょうせい)、「電子版・平成のマスメディアの言葉」(明治書院)など。『現代用語の基礎知識』(自由国民社)では2006年版から「日本語事情」の項目を執筆している。読売テレビのホームページ上のブログ「道浦俊彦TIME」で8500回を超える「新・ことば事情」、3600冊を超える「新・読書日記」を連載中。趣味は男声合唱、読書、テニス、サッカー、飲酒(ワイン他)など。スペイン好き。
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