ミヤネ屋の「西山さん」ってアナウンサーなの?記者なの?独自なキャリアについて聞いてみた
2022.04.20
元日本テレビアナウンサーの桝太一さんが同志社大学の助教授に転身。元テレビ朝日アナウンサーの富川悠太さんはトヨタ自動車に転職。そんな中、金融業界からテレビ業界に転職した人もいる。読売テレビの西山耕平さん(2018年入社)だ。そう、平日午後の番組『情報ライブ ミヤネ屋』でリポーターとして見かけるアノ人だ。
昨年、同番組の司会を務める宮根誠司さんが夏休みをとった際には、代役として司会を務めた西山さん。果たして彼は何者なのか? 話を聞くと、ユニークな経歴が浮かび上がってきた。そこには転職を続けた者が持つ、独自な仕事観が感じられた。
【企画 : 藤生朋子 / 取材・文 : 鈴木しげき】
昨年、同番組の司会を務める宮根誠司さんが夏休みをとった際には、代役として司会を務めた西山さん。果たして彼は何者なのか? 話を聞くと、ユニークな経歴が浮かび上がってきた。そこには転職を続けた者が持つ、独自な仕事観が感じられた。
【企画 : 藤生朋子 / 取材・文 : 鈴木しげき】
私はディレクターです。ただ、しゃべることも仕事です!
――アナウンサー? 記者? 何の仕事をしているんですか?
基本的に私は『ミヤネ屋』のディレクターです。同時に、スタジオのプレゼンも行いますし、実際に現場へ取材に行ってリポーターとして生中継するなど“出る仕事”の役割も担当しています。
一方で、そういった“出る仕事”がない時は、ニュースのVTR制作のフォローに入ったり、解説用のフリップを作ったり、ディレクターを補佐するような仕事もしています。
――ディレクターさんなんですね。経歴をざっと教えてください。
大阪市出身で立命館大学を卒業した後に、金融機関に就職しました。ちょっと話はズレますが、大学生の時に留学したいと思っていまして、それを父親に話しました。そしたら、「ひとつ条件がある。一度日本の企業に就職してから、自分でお金を貯めて勉強もして、自分自身のチカラで行きなさい」と言われたんです。「ほな、やったるわ」と啖呵を切って、それで金融機関に入ったんですけど、その年にリーマンショックがありまして、一気に目の前が暗くなり……。
将来どうしよ、みたいな。そこから考え込んでしまって、気付いたら勉強もしてなくて、お金も貯まってなくて……。そんな時に救ってくれたゼミの先輩がいました。それが、かつて読売テレビの社員だった結城豊弘さんです。
元々、報道の仕事に携わりたいと思っていたこともあって、そのことを相談したら「まずはどこか放送局に入ってキャリアを積んではどうか」と言われました。それでテレビ朝日のアナウンサー試験を受けたんです。周囲は新卒の方ばかりでしたが、これがイイところまで行ったんです。
そして、テレ朝の人事部が「系列局のローカルで募集しているところがあるので受けてみなさい」とアドバイスをくれました。それが長崎文化放送で、そこでアナウンサー兼記者として採用されたんです。
――いきなりアナウンサーになれるなんてスゴくないですか!?
テレビ朝日のアナウンサー試験を受けた当時は、アナウンスの専門学校に行ったことがありませんでした。周りは通っている方ばかりで、みんな仲もいいんですよ。なんで? と聞いたら、「同じアナウンス学校なんです」とか言われて、やばい、こっちは何もやってない……みたいな。それで採用が決まってから、ちゃんとアナウンス学校に通いました。
――もともと報道に興味があったんですね。
ずっとやりたいと思っていました。ニュースが好きだったので。10代の頃から父親の影響で『朝まで生テレビ』などを見ることが多く、そこからニュースに関心が芽生えましたね。
――長崎ではアナウンサー兼記者として働いていかがでしたか?
とても楽しかったです。『トコトンhappy』という午前中の番組を担当させてもらいました。イロハを教えてもらったのは長崎文化放送ですし、取材やインタビューなど、いろんなことを勉強させてもらい、とても感謝しています。それに長崎の方ってすごく温かいんですよ。大好きです。
提供:西山耕平
長崎文化放送アナウンサーとして、高校野球の実況もしていた(2013年)
――そこからまた転職するわけですよね。
長崎の放送局では8年間勤めました。一方で実家の両親が年々、年をとるのを感じ、いずれは一緒に暮らしたいと思ってましたから、そろそろ地元に戻ろうかなという時に、読売テレビが中途採用の募集をしていたんです。そこで拾っていただいて、今に至るという感じですね。
長崎の放送局では8年間勤めました。一方で実家の両親が年々、年をとるのを感じ、いずれは一緒に暮らしたいと思ってましたから、そろそろ地元に戻ろうかなという時に、読売テレビが中途採用の募集をしていたんです。そこで拾っていただいて、今に至るという感じですね。
転職をくり返したおかげで前の経験が生かせるのかなと
――長崎で培った経験は今につながってますか?
長崎にいる頃から『ミヤネ屋』の大ファンでした。ローカルで報道をやっている者にとって、世の中が動いている時間帯に全国へ発信できるというのはホント羨ましかったです。
よく『ミヤネ屋』では現場から生中継をやりますけど、あれができるのは強みだなぁと思っていました。当時から憧れであり、ライバルであり、意識してましたね。ですから今、『ミヤネ屋』で働けるのは過去がすべてつながっているように感じます。
――番組を視聴者に届けるうえで意識していることは?
国際情勢や政治など、難しいテーマを扱うことが多いので、わかりやすく伝えたいと思っています。感覚的には、小中学生の視聴者が理解できるように。私のよくないところが、すぐ難しい言葉でまとめたがるクセがあるんです。ですから意識してわかりやすい言葉を使って、文字数を減らすなど工夫はしています。
あと、『ミヤネ屋』はパネルを使って、視覚でもわかりやすく伝えるのが特長ですから、そういう部分は各ディレクターと共有して「とにかく見やすいパネルを作ろう」と意識しています。
――転職をくり返して、わかったことってありますか?
東京や大阪のテレビ局と違って、地方のローカル局って、何でもやらなきゃいけないんですよ。自分で取材して、自分でVTRを編集して、自分でしゃべって伝える。いろんなことを経験できたという点ではとてもよかったですが、その反面、どうしても専門性が薄れてしまいます。
一方、『ミヤネ屋』はスタッフの人数が多く、得意分野を持った先輩方がいて、何かしらの強みを持ってないと埋もれてしまうなと感じましたね。最初に『ミヤネ屋』に来た時は、「みなさん、何やってるんだろう?」と思ってたんですが、それぞれの分野で詳しい人ばかりで感心しました。
――では、西山さんの強みとは?
あまりないんですが……(笑)、ただ、以前、銀行員だったので金融関係の話題はある程度、プレゼンできたりします。今日も『ミヤネ屋』で年金制度について扱いましたが、そういったところでは過去のキャリアが生かせているかもしれません。
©ytv
2022.4.4 情報ライブミヤネ屋
――アナウンサーだったことで、人前で話せるのも強みですよね。
けど、むちゃくちゃ“緊張しい”なんですよ(笑)。常に吐きそうなくらい緊張してカメラの前に立ってます。確かに、自ら画面に出てしゃべるというのはキャリアを生かせていることだなと思いますね。
ミヤネ屋が放送4000回、さらに視聴者と寄り添う!
――司会の宮根誠司さんについて、さすがだなと感じることは?
いっぱいあるんですけど、宮根さんっていつ寝てるんだろうと思うくらい、情報収集に割く時間がスゴいんですよ。すべての分野に長けた人なんていませんから、その都度、勉強して詳しくなっていくんだと思うのですが、ウクライナ情勢についても、いつの間にか知識が入っていて、「いつ勉強したんだろう?」といつも感心しています。
また、韓流ドラマもお好きで、私も好きなんで「西山、あれ見たか?」と聞いてくれるんです。「まだ見てないです」と答えると「おれはもう何話までいったわ」と。ニュース以外にも、ドラマ、お笑い、スポーツ……とアンテナの張り方がスゴい。いったいどうやってそんな時間をつくってるのかと不思議なくらいです。
――ミヤネ屋は4000回を迎えますが、今後はどうなっていきますか?
宮根さんが我々スタッフに話してくれたことがあります。ウクライナ、コロナ……と暗いニュースが続き、それは伝えなければいけないことなんですが、そんな中でもほっこりした話題も届けていきたい。それが『ミヤネ屋』だと。厳しい現実の中で、ちょっとでも笑えるような企画もやって、視聴者のみなさんに寄り添っていきたい。そこは私たちスタッフも一致していますので、これからも『ミヤネ屋』をよろしくお願いします。
©ytv
【西山耕平 プロフィール】
読売テレビ報道局のディレクター。1984年生まれ、大阪市出身。立命館大学卒業後、金融機関に就職。その後、退職して長崎文化放送にアナウンサー兼記者として入社。2018年に退職して、地元の読売テレビに移籍。担当番組は『情報ライブ ミヤネ屋』など。
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