死刑は”殺人”なのになぜ許されるのか?“拡大自殺”は死刑があるから起きるのか?
2022.12.09
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「人間は考える葦である。」とパスカルは言ったが、世の中を駆け抜けていくニュースを我々は時に立ち止まってじっくり考えるべきではないか。12月4日放送の「そこまで言って委員会NP」では、「ニュースを哲学する」と題し、新型コロナや宗教など様々なニュースを論客たちが掘り下げ哲学的に考えた。その一つとして討論したのが「死刑とは何か」という問い。「死刑」とは合法的な殺人である、という哲学者・萱野稔人の問いかけに対して、論客たちは何と答えたのか。
須田慎一郎氏(経済ジャーナリスト)は「死刑とは、社会的合意形成を得た殺人である」と指摘した。
「殺人は悪、しかも絶対悪だと思う。では、なぜ死刑は例外扱いされているのか。社会的合意形成。つまり世の中の規範として死刑が許されるものと考えられているからこそ実施されている」と説明。
丸田佳奈氏(産婦人科医・タレント)も同じ意見。
「国民の意志として、罪を犯した人がどう罪を償うかに準拠している。社会が罪を犯した人の生きる権利を認めないとの決断に達したということなのだと思う。」
竹田恒泰氏(作家)は「報復」と回答。
「刑罰に関しては、カント(ドイツの哲学者)とベッカリーア(イタリアの法学者)の新旧両派の刑法理論全般にわたる有名な論争がある。19世紀後半から20世紀初頭にドイツを中心に繰り広げられた論争の話だが、カントは『刑罰とは報復だ』と主張した。それに対してベッカリーアは『犯罪者が更生するかどうかを考えるべきだ』と主張した。その後、沢山の哲学者が議論した結果、世界的な通説としては 両方とも大切だということになった。ただ、今の日本の法曹界は、刑罰とは報復との立場をとっている。色々な論点はあるが、本質は報復。」
村田晃嗣氏(国際政治学者)は竹田氏の論を受けてこう述べた。
「究極の選択と、ありきたりのことを書いた。死刑が執行されてから、5年後10年後に判決が間違っていたという可能性は排除できない。もし自分が 罪を犯していないのに、誤って逮捕され死刑を宣告された時に、自分は受け入れられるだろうか。他方で、もし自分の子供が残酷に殺された時に死刑が無かったとしたら、自分は受け入れられるだろうか。自分を当事者に置き換えて考えた時の究極の選択だと思う。」
安藤優子氏(キャスター・ジャーナリスト)は取材経験をもとにこう語る。
「死刑がなぜ日本では容認されているのか。その根拠として“犯罪抑止”効果があると言われている。もう1つは応報。これには、さっきから出ている被害者感情の救済が含まれている。私は、そうした被害者家族の取材を経験してきて感じることがある。殺人を犯した者が死刑になって、あっという間に死ぬのでは、遺族に対しての答えがないままで、全く納得がいかないと思う。一定の期間きちっと自分の犯した罪に向き合った上で、 その罪をどう償うのかを考える時間、つまり刑期が必要だとの声を被害者や遺族からたくさん聞いてきた。一方で最近は死刑になりたいという動機で人を殺すというケースも起きている。それも考えると、いま死刑は極刑として本当に有効な手立てなのか、すごく疑問に思う。」
山口もえ氏(タレント)は「今まさに見直すべき刑罰である」との回答。
「今まで極刑イコール死刑だと思っていた。最近は、そんな”楽な死に方”あるのかと思うようになった。刑務所の中で罪を償った方が、 死刑より辛いんじゃないかと思うようになった。」
萱野稔仁(哲学者)が「山口さんに近い考えだが」と言葉を続けた。
「死刑は意外と非力な刑罰であると私は定義する。色々な犯罪を見ていくと、自らが死刑になるために行ったと思える犯罪が意外と多く、最近は、一人で死ぬのは嫌だから他人を巻き込む“拡大自殺”という言葉も出てきた。実はこのケースは以前から多い。凶悪な犯罪を犯したからと言って、 『そう簡単に死ねないよ』、『苦しむよ』という刑罰のオプションがあってもいい。私が驚いたのが、ヨーロッパの国で終身刑の受刑者が、『辛すぎるからいっそのこと 死刑にしてください』との嘆願書を出すケースがあったこと。死刑が本当に辛い刑罰なのか、もっと議論していい。」
竹田氏がこれに絡めて主張する。
「いま話にあった“拡大自殺”は本当に問題。自分が死刑になりたいから、たくさん人を殺す。犯罪抑止になっていない。そこで有効なアイディアがある。裁判所で仇討ちを認める判決を出す。いつ仇討ちが来るか、ビクビクしながら過ごさなきゃいけない。」
この極論に論客たちが口々に「返り討ちはどうするのか。」「助太刀はありか。」などと突っ込むと竹田氏は「助太刀はあっていいと思う。」と極論が暴論になっていく。
大野裕之氏(日本チャップリン協会 会長)が冷静にこう述べる。
「そうなると、国じゃなくなる。そういう個人の感情から、 法律は超越したところになくてはいけないと思う。それは絶対に恣意的に運用してはいけないし、恣意的なものを作ってはいけない。ただ、 恣意的なものもあって、それが恩赦という制度。恩赦は法を超越したものである。それとセットになっているのが死刑ではないのか。」
ここで、竹田氏が直近にあった死刑にまつわる話題に対し、怒りをあらわに。
「これだけは言わせてほしい。葉梨康弘前法務大臣のあの軽いトークは本当に許せない。上川陽子元法務大臣は麻原彰晃元死刑囚らオウム真理教の幹部の死刑執行をした。上川陽子氏は一生教団の関係者から命を奪われる危険性すらある。それを身の危険を顧みずに判断した。死刑をネタにして情けない話をするのは、もう本当にやめていただきたい。」
須田氏がこの話題に乗る。
「実は法務大臣のスピーチのネタとしては、ありがち。過去にも直接聞いたことがある。」
そう聞いた一同は、情けなさに呆れ返った。
死刑は人権的に問題だから廃止すべきだとの意見もある。一方で終身刑の方が辛いので意外に罪を償うには有効かもしれないという意見も説得力を感じた。時代や社会体系が変化すれば極刑の姿も変わるかもしれない。死刑を哲学的な見地で考えることで、また別な視点が見えた回だった。
【文:境治】
須田慎一郎氏(経済ジャーナリスト)は「死刑とは、社会的合意形成を得た殺人である」と指摘した。
「殺人は悪、しかも絶対悪だと思う。では、なぜ死刑は例外扱いされているのか。社会的合意形成。つまり世の中の規範として死刑が許されるものと考えられているからこそ実施されている」と説明。
丸田佳奈氏(産婦人科医・タレント)も同じ意見。
「国民の意志として、罪を犯した人がどう罪を償うかに準拠している。社会が罪を犯した人の生きる権利を認めないとの決断に達したということなのだと思う。」
竹田恒泰氏(作家)は「報復」と回答。
「刑罰に関しては、カント(ドイツの哲学者)とベッカリーア(イタリアの法学者)の新旧両派の刑法理論全般にわたる有名な論争がある。19世紀後半から20世紀初頭にドイツを中心に繰り広げられた論争の話だが、カントは『刑罰とは報復だ』と主張した。それに対してベッカリーアは『犯罪者が更生するかどうかを考えるべきだ』と主張した。その後、沢山の哲学者が議論した結果、世界的な通説としては 両方とも大切だということになった。ただ、今の日本の法曹界は、刑罰とは報復との立場をとっている。色々な論点はあるが、本質は報復。」
村田晃嗣氏(国際政治学者)は竹田氏の論を受けてこう述べた。
「究極の選択と、ありきたりのことを書いた。死刑が執行されてから、5年後10年後に判決が間違っていたという可能性は排除できない。もし自分が 罪を犯していないのに、誤って逮捕され死刑を宣告された時に、自分は受け入れられるだろうか。他方で、もし自分の子供が残酷に殺された時に死刑が無かったとしたら、自分は受け入れられるだろうか。自分を当事者に置き換えて考えた時の究極の選択だと思う。」
安藤優子氏(キャスター・ジャーナリスト)は取材経験をもとにこう語る。
「死刑がなぜ日本では容認されているのか。その根拠として“犯罪抑止”効果があると言われている。もう1つは応報。これには、さっきから出ている被害者感情の救済が含まれている。私は、そうした被害者家族の取材を経験してきて感じることがある。殺人を犯した者が死刑になって、あっという間に死ぬのでは、遺族に対しての答えがないままで、全く納得がいかないと思う。一定の期間きちっと自分の犯した罪に向き合った上で、 その罪をどう償うのかを考える時間、つまり刑期が必要だとの声を被害者や遺族からたくさん聞いてきた。一方で最近は死刑になりたいという動機で人を殺すというケースも起きている。それも考えると、いま死刑は極刑として本当に有効な手立てなのか、すごく疑問に思う。」
山口もえ氏(タレント)は「今まさに見直すべき刑罰である」との回答。
「今まで極刑イコール死刑だと思っていた。最近は、そんな”楽な死に方”あるのかと思うようになった。刑務所の中で罪を償った方が、 死刑より辛いんじゃないかと思うようになった。」
萱野稔仁(哲学者)が「山口さんに近い考えだが」と言葉を続けた。
「死刑は意外と非力な刑罰であると私は定義する。色々な犯罪を見ていくと、自らが死刑になるために行ったと思える犯罪が意外と多く、最近は、一人で死ぬのは嫌だから他人を巻き込む“拡大自殺”という言葉も出てきた。実はこのケースは以前から多い。凶悪な犯罪を犯したからと言って、 『そう簡単に死ねないよ』、『苦しむよ』という刑罰のオプションがあってもいい。私が驚いたのが、ヨーロッパの国で終身刑の受刑者が、『辛すぎるからいっそのこと 死刑にしてください』との嘆願書を出すケースがあったこと。死刑が本当に辛い刑罰なのか、もっと議論していい。」
竹田氏がこれに絡めて主張する。
「いま話にあった“拡大自殺”は本当に問題。自分が死刑になりたいから、たくさん人を殺す。犯罪抑止になっていない。そこで有効なアイディアがある。裁判所で仇討ちを認める判決を出す。いつ仇討ちが来るか、ビクビクしながら過ごさなきゃいけない。」
この極論に論客たちが口々に「返り討ちはどうするのか。」「助太刀はありか。」などと突っ込むと竹田氏は「助太刀はあっていいと思う。」と極論が暴論になっていく。
大野裕之氏(日本チャップリン協会 会長)が冷静にこう述べる。
「そうなると、国じゃなくなる。そういう個人の感情から、 法律は超越したところになくてはいけないと思う。それは絶対に恣意的に運用してはいけないし、恣意的なものを作ってはいけない。ただ、 恣意的なものもあって、それが恩赦という制度。恩赦は法を超越したものである。それとセットになっているのが死刑ではないのか。」
ここで、竹田氏が直近にあった死刑にまつわる話題に対し、怒りをあらわに。
「これだけは言わせてほしい。葉梨康弘前法務大臣のあの軽いトークは本当に許せない。上川陽子元法務大臣は麻原彰晃元死刑囚らオウム真理教の幹部の死刑執行をした。上川陽子氏は一生教団の関係者から命を奪われる危険性すらある。それを身の危険を顧みずに判断した。死刑をネタにして情けない話をするのは、もう本当にやめていただきたい。」
須田氏がこの話題に乗る。
「実は法務大臣のスピーチのネタとしては、ありがち。過去にも直接聞いたことがある。」
そう聞いた一同は、情けなさに呆れ返った。
死刑は人権的に問題だから廃止すべきだとの意見もある。一方で終身刑の方が辛いので意外に罪を償うには有効かもしれないという意見も説得力を感じた。時代や社会体系が変化すれば極刑の姿も変わるかもしれない。死刑を哲学的な見地で考えることで、また別な視点が見えた回だった。
【文:境治】
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