ランドセルを楽に運べる『さんぽセル』、批判するより子どもたちの発想をほめよう!
2022.08.25
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日本の教育は問題が山積みだ。教師不足をどう解消するのかなど、深刻な課題ばかり。8月21日放送の『そこまで言って委員会NP』では『そこまで教育委員会』と題して様々な教育の問題を議論した。モノマネ芸人・ホリが金八先生をはじめ珠玉のモノマネで笑わせながら問題を提起し、さらに早稲田大学教育学部卒で最近『子どもが見ている教育系YouTubeチャンネル』で1位となったお笑いタレントの小島よしお氏がパネリストとして初参加。ヘビーな問題を楽しく盛り上げてくれた。
興味深かったのが『さんぽセル』についての議論。最近、教科書の量が増えた上にタブレット端末も加わり、重くなった小学生のランドセル。これを楽に運べるよう2本のスティックでキャリー化するのが『さんぽセル』だ。栃木県の小学生たちのアイデアをもとに大阪市の会社が開発し、今年4月に発売されて大ヒット商品になった。ネット上で大人たちが「子どものことがわかっていない」「ランドセルは下半身が鍛えられるのに」などと非難すると、子どもたちは見事に反論しそれがまた話題となった。
この『さんぽセル』を小学生が使うことに賛成か反対か。番組からの問いかけに論客たちのほとんどは賛成と回答した。
坪田信貴氏(坪田塾塾長・作家・教育者)は「なぜみんな小学校に入ったら、ランドセルにしないといけないのかが、まず意味不明。」と根本からの疑問を述べる。「普通のバッグでもいいはずだし、手下げでもいい。なんだったら、元々コロコロのついたキャリーバッグを持たせてもいいはず。」
唯一「反対」と回答した竹田恒泰氏(作家)が反論する。「ランドセルは元々陸軍の装備品として、開発されたもの。重いものも背負えば手に持つより軽く感じるし、両手が空く。それが子供たちにいい、となった。現状はタブレットも教科書もあって重たいが、将来的にはタブレットだけになるはず。」
さらに竹田氏は別の解決策を出す。「自分は教科書を2セット用意していた。そうすると、教科書は全部学校に置いておける。家に帰ったらワンセット別にあるので運ばなくていい。」
この意見に対し番組秘書・野村明大アナが教育現場の現状を解説する。
「それは置き勉というが、これは文部科学省も認めたのに現場の学校が認めず、教材は必ず持って帰らねばならなくなった。」
田嶋陽子氏(元参議院議員)は別の例を話す。「小樽の小学校では50年前から、校長先生の発案でかばん屋さんが作った軽いナップサックを、子供たちに持たせているという。校長先生の裁量1つで、ランドセルを使わなくて済む。」
眞鍋かをり氏(タレント)は「使いたい人は使う、使いたくない人は使わなくていい。」と回答。
「批判が出る意味がわからない。自分も小学校の時はランドセルで肩こりしていたので使いたくない派。でも、ランドセルがいい人もいるだろうし、自由でいい。批判している人は、『自分たちが部活で水を飲めなかったからお前らも飲むな』、というのと同じではないか。」
ここで小島よしお氏が発言。「問題は、子供たちがせっかく考えたことを大人たちが批判していること。あの子たちが将来すごい発明家になる可能性もある。でもいいことを思いついても、『嫌な思いをしちゃったな、別の仕事をしよう』となったら、可能性がしぼんでしまう。」
溝口紀子氏(教育学者・スポーツ社会学者)も『さんぽセル』を考えた子どもたちを絶賛する。「この子どもたちはギフテッドのようで素晴らしいし、反論もアクティブラーニングだと言え、理想とする教育を体現している。優秀な小学生として称賛したい。」
坪田氏も子どもたちを擁護。「『さんぽセル』は、子どもたちが何かしら不都合を感じたから、工夫して生まれたものだ。これを批判するのは大きな問題。こういう感覚に疎いと、いじめなどに起因する子供の変化も発見できない。実際にこんな話があった。ある生徒が夏なのにずっと長袖を着ていた。理由を聞くと、いじめでつねられたりするのを防ぎたくて分厚い長袖を着ていたのだという。そういう変化をちゃんと見ておくことが必要。『さんぽセル』も、自分たちの時代よりも持ち歩くものが増えてきていることに気づけば、批判にはつながらないと思う。」
竹中平蔵氏(慶応大学名誉教授)はより大きな問題に話を広げる。
「(置き勉の件など)国や文部科学省は認めているのに実際の現場では認められない、という話が出た。これはすごく本質的な問題。教育は今、国の仕事か?地方の仕事か?法律上は地方分権一括法で地方の仕事になっている。だから、地方に教育委員会があり教育長がいる。ところが学習指導要領は文科省が作り、教科書の選定も文科省。誰が責任を負っているかがわからない、曖昧なシステムのままずっと来ている。だから、こんな問題が生じる。」
重たい発言をした竹中氏に番組議長・黒木千晶アナが「今日は竹中さんも、『ピーヤ』を習いましたね。」と振ると、竹中氏は番組前半で小島よしお氏に教わったギャグの「ピーヤ!」を披露していた。
竹中氏のお茶目ぶりは置いておいても、子どもたちの発想を自分たちの時代の基準で批判するより、そこから可能性を見出だしたり、何かを読み取るのが大人の務めだろう。自分たちの周りの子どもたちに対しても、そんな目で見つめてあげたいと感じた。
【文:境治】
興味深かったのが『さんぽセル』についての議論。最近、教科書の量が増えた上にタブレット端末も加わり、重くなった小学生のランドセル。これを楽に運べるよう2本のスティックでキャリー化するのが『さんぽセル』だ。栃木県の小学生たちのアイデアをもとに大阪市の会社が開発し、今年4月に発売されて大ヒット商品になった。ネット上で大人たちが「子どものことがわかっていない」「ランドセルは下半身が鍛えられるのに」などと非難すると、子どもたちは見事に反論しそれがまた話題となった。
この『さんぽセル』を小学生が使うことに賛成か反対か。番組からの問いかけに論客たちのほとんどは賛成と回答した。
坪田信貴氏(坪田塾塾長・作家・教育者)は「なぜみんな小学校に入ったら、ランドセルにしないといけないのかが、まず意味不明。」と根本からの疑問を述べる。「普通のバッグでもいいはずだし、手下げでもいい。なんだったら、元々コロコロのついたキャリーバッグを持たせてもいいはず。」
唯一「反対」と回答した竹田恒泰氏(作家)が反論する。「ランドセルは元々陸軍の装備品として、開発されたもの。重いものも背負えば手に持つより軽く感じるし、両手が空く。それが子供たちにいい、となった。現状はタブレットも教科書もあって重たいが、将来的にはタブレットだけになるはず。」
さらに竹田氏は別の解決策を出す。「自分は教科書を2セット用意していた。そうすると、教科書は全部学校に置いておける。家に帰ったらワンセット別にあるので運ばなくていい。」
この意見に対し番組秘書・野村明大アナが教育現場の現状を解説する。
「それは置き勉というが、これは文部科学省も認めたのに現場の学校が認めず、教材は必ず持って帰らねばならなくなった。」
田嶋陽子氏(元参議院議員)は別の例を話す。「小樽の小学校では50年前から、校長先生の発案でかばん屋さんが作った軽いナップサックを、子供たちに持たせているという。校長先生の裁量1つで、ランドセルを使わなくて済む。」
眞鍋かをり氏(タレント)は「使いたい人は使う、使いたくない人は使わなくていい。」と回答。
「批判が出る意味がわからない。自分も小学校の時はランドセルで肩こりしていたので使いたくない派。でも、ランドセルがいい人もいるだろうし、自由でいい。批判している人は、『自分たちが部活で水を飲めなかったからお前らも飲むな』、というのと同じではないか。」
ここで小島よしお氏が発言。「問題は、子供たちがせっかく考えたことを大人たちが批判していること。あの子たちが将来すごい発明家になる可能性もある。でもいいことを思いついても、『嫌な思いをしちゃったな、別の仕事をしよう』となったら、可能性がしぼんでしまう。」
溝口紀子氏(教育学者・スポーツ社会学者)も『さんぽセル』を考えた子どもたちを絶賛する。「この子どもたちはギフテッドのようで素晴らしいし、反論もアクティブラーニングだと言え、理想とする教育を体現している。優秀な小学生として称賛したい。」
坪田氏も子どもたちを擁護。「『さんぽセル』は、子どもたちが何かしら不都合を感じたから、工夫して生まれたものだ。これを批判するのは大きな問題。こういう感覚に疎いと、いじめなどに起因する子供の変化も発見できない。実際にこんな話があった。ある生徒が夏なのにずっと長袖を着ていた。理由を聞くと、いじめでつねられたりするのを防ぎたくて分厚い長袖を着ていたのだという。そういう変化をちゃんと見ておくことが必要。『さんぽセル』も、自分たちの時代よりも持ち歩くものが増えてきていることに気づけば、批判にはつながらないと思う。」
竹中平蔵氏(慶応大学名誉教授)はより大きな問題に話を広げる。
「(置き勉の件など)国や文部科学省は認めているのに実際の現場では認められない、という話が出た。これはすごく本質的な問題。教育は今、国の仕事か?地方の仕事か?法律上は地方分権一括法で地方の仕事になっている。だから、地方に教育委員会があり教育長がいる。ところが学習指導要領は文科省が作り、教科書の選定も文科省。誰が責任を負っているかがわからない、曖昧なシステムのままずっと来ている。だから、こんな問題が生じる。」
重たい発言をした竹中氏に番組議長・黒木千晶アナが「今日は竹中さんも、『ピーヤ』を習いましたね。」と振ると、竹中氏は番組前半で小島よしお氏に教わったギャグの「ピーヤ!」を披露していた。
竹中氏のお茶目ぶりは置いておいても、子どもたちの発想を自分たちの時代の基準で批判するより、そこから可能性を見出だしたり、何かを読み取るのが大人の務めだろう。自分たちの周りの子どもたちに対しても、そんな目で見つめてあげたいと感じた。
【文:境治】
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