「おもしろ荘」優勝の「ちゃんぴおんず」を導いた「千鳥」の言葉
2023.02.13
今年元日の日本テレビ「ぐるナイ おもしろ荘」を“ちょんってすなよ”のリズムネタで制したお笑いコンビ「ちゃんぴおんず」。日本一おもしろい大崎さん(32)、堀之内大輔さん(32)ともに別のコンビを経ての戴冠となりましたが、道しるべとなったのは今を時めく人気芸人の言葉でした。
―「おもしろ荘」優勝、反響は大きかったですか?
堀之内:優勝した途端に「おめでとう」のメッセージが200件くらい来ました。もう、その時点でビックリだったんですけど、ありがたいことに仕事のオファーも確実に増えています。去年はテレビ出演が年間で2~3本だったんですけど、今年は1月だけで十数本お話をいただきました。
大崎:僕たち自身がいろいろなところに呼んでいただけることもありがたいんですけど、フレーズが独り歩きしてくれているのもうれしいなと思っています。
「おもしろ荘」で優勝した時のネタが“ちょんってすなよ”というフレーズを重ねるリズムネタだったんですけど、そのフレーズをあらゆる方がやってくださっていて。SNSでそれがどんどん広がっていくさまを見て、これまたビックリしています。
堀之内:僕の同期はブルゾンちえみなんですけど、まさに「おもしろ荘」からのブレークぶりを間近で見ていたので、なんとも感慨深いものがありますね。
―「おもしろ荘」優勝、反響は大きかったですか?
堀之内:優勝した途端に「おめでとう」のメッセージが200件くらい来ました。もう、その時点でビックリだったんですけど、ありがたいことに仕事のオファーも確実に増えています。去年はテレビ出演が年間で2~3本だったんですけど、今年は1月だけで十数本お話をいただきました。
大崎:僕たち自身がいろいろなところに呼んでいただけることもありがたいんですけど、フレーズが独り歩きしてくれているのもうれしいなと思っています。
「おもしろ荘」で優勝した時のネタが“ちょんってすなよ”というフレーズを重ねるリズムネタだったんですけど、そのフレーズをあらゆる方がやってくださっていて。SNSでそれがどんどん広がっていくさまを見て、これまたビックリしています。
堀之内:僕の同期はブルゾンちえみなんですけど、まさに「おもしろ荘」からのブレークぶりを間近で見ていたので、なんとも感慨深いものがありますね。
©ytv
(左)日本一おもしろい大崎 (右)堀之内大輔
―そもそも、お笑いに世界に入ったきっかけは?
大崎:僕は小学校の頃からお笑いが大好きだったんです。「ダウンタウン」のお二人にもあこがれていたんですけど、逆にその気持ちが強すぎて自分は芸人にはなれないと思っていたんです。
松本人志さんが著書「遺書」の中で、不幸な要素がない芸人は面白くない、売れないというようなことを書いてらっしゃったんですけど、自分は特に不幸を背負っている生い立ちでもないし、ありがたい話、普通に暮らしてきた方だなと。となると、芸人には向いていないなろうなという思いがずっとあったんです。
なので、応援団長をやったり人前に出るのは好きだったんですけど、芸人という道を志すことはなく、大学に行って、地元・長崎のケーブルテレビに就職しました。
ただ、そこで取材、編集、出演と全部をやることになって、出役をしている自分を見た姉が「そっちに行くのがいいんじゃない」と言ってくれて、その言葉に押されて東京に出てきたというのがこの世界に入るまでの流れです。
堀之内:僕は大学までプロのサッカー選手を目指していたんです。地元の同級生が日本代表の大迫勇也で、リアルに僕もプロを意識していたんですけど、残念ながらそちらに進むことはなく、そうなると就職かと。
そこで今一度、自分の適性を考えた時に思ったんです。プロになる選手を間近で見ていて、みんなに共通するのは“足が速い”とか“背が高い”とか何かしらの才能を持っている人がさらにそこを伸ばす努力をしていることだと思ったんです。
じゃ、自分がこれから仕事をしていく上で磨くべき部分はどこなんだろう。それを見つめ直した時に出てきたのが「面白いことをする」というところだったんです。
僕は一人っ子ですし、その上、親は大学を出たら学校の先生になると思っていたみたいで。芸人という思いもよらない道を伝えると、これはもう、怒られました。
ただ、もう自分の中ではこれしかない。自分で自分の背中を押すというか、強烈に蹴り飛ばしてとにかくその世界に入ったという感じでした。
―実際にお笑いの世界に入ってから感じたことは?
大崎:自分は漠然と通用しないと思って入っているので、どこかで無理だろうなと。どうせ通用しないだろうなと思って入ったんですけど、入ってからは楽しいという感覚しかない。
長崎出身なので回りには漫才ノリがない。掛け合いとか、関西の芸人さんに学んで、楽しいなあと。入ってから芸人の面白さを知りました。周りの人に恵まれていたのだと思います。仕事がなくてお金もないしということはあったけど、楽しい。自分のコンプレックスもいじってもらって笑いになる。武器になる。本当に楽しい。芸人になって後悔したことはない。
親父からもらった言葉があって、『どの道を選んでも後悔はする。でも、もう選んだ以上は迷わずいけ』なので、あとは後悔をどれだけ小さくするか、という作業ですよね。
堀之内:僕は「自分が一番面白い」と思って入ったつもりだったんです。この世界に、よくある話ですけど(笑)。
ただ、実際にというか、養成所の頃はその中のネタバトルみたいなところではずっと優勝できてたんです。ナニな話ですけど、養成所の頃だと、声が大きくて、元気があって、そこそこ器用だったら通用する部分がある。まさに僕がそうだったんだと思います。
でも、自分でも「これでは浅いというか、これから難しくなる」という思いもあったんです。一方で、今は勝ててるし、近い結果がほしいという気持ちもある。そんな思いでやっていたんですけど、自分のすぐ下に「四千頭身」が入ってきて、そこでショックを受けました。
自分の逆で、ボソボソと小さな声でやるんだけど、一つ一つが本当によくできている。面白い。そこで改めて自己流のフォームの限界というか、本当にウケるためにはどうしたらいいのか。それを考えていくようになったと思います。
―お笑いの世界に入ってからそれぞれ別のコンビで活動をされていましたが、この二人でやろうとなったきっかけは?
堀之内:僕の方が後輩なんですけど、とにかく大崎さんのことが面白くて、すごいなと思っていたんです。
前のコンビを解散して、新たな相方を考えた時に“ネタが書ける人”か“突き抜けて面白い人”かどちらかを探そうと思っていたんですけど、そこで僕が“突き抜けて面白い人”だと思っていた大崎さんを選んで相談したという形でした。たまたま一緒に写っている写真があったんですけど、その写真を見ても二人のフォルムから「売れそうだよな」というニオイがプンプン出ている気がしたんですよ(笑)。
大崎:写真だけ見て「売れそう」と言われてもね(笑)。ただ、やっていく中で手ごたえを感じられたというか、紆余曲折はありましたけど、この二人が楽しんでやれる形を見つけようとなってからは笑いが伴ってきた。その感覚はありましたね。
堀之内:コンビとしては遅いスタートのコンビですし、遠回りしてられない。その思いもありました。ただ、自分たちが「これだ」と信じてその道を行っても、それが正解かどうかを見極めるのは難しい。
そんな不安はずっとあったんですけど、そんな中で去年、数少ない番組出演の機会をいただいた時に千鳥さんが「面白い!」と言ってくださったんです。そこからかわいがってくださって飲みに連れて行っていただくようにもなったんですけど、面白い人が「面白い!」と言ってくださる。先が見えない中で、この言葉は本当に大きな支えになりました。少なくとも、この道は間違ってはいないんだという思いをいただいたなと。
なので、まだまだスタートしたばかりですけど、その「面白い!」に応えられるような存在になれるよう積み重ねをしていきたいと思っています。
■ちゃんぴおんず
1990年3月5日生まれで長崎県出身の日本一おもしろい大崎(本名・大崎義孝)と91年1月11日生まれで鹿児島県出身の堀之内大輔がそれぞれ別のコンビを経てコンビ結成。22年にコンビ名を「ちゃんぴおんず」に定める。ワタナベエンターテインメント所属。今年元日に放送された日本テレビ「ぐるナイ おもしろ荘」で“ちょんってすなよ”のリズムネタを披露し優勝。
執筆者プロフィール
中西 正男(なかにし まさお)
1974年生まれ。大阪府枚方市出身。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚などを大阪を拠点に取材。桂米朝師匠に、スポーツ新聞の記者として異例のインタビューを行い、話題に。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、テレビ・ラジオなどにも活動の幅を広げる。現在、朝日放送テレビ「おはよう朝日です」、読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」などにレギュラー出演。また、Yahoo!、朝日新聞、AERA.dotなどで連載中。
大崎:僕は小学校の頃からお笑いが大好きだったんです。「ダウンタウン」のお二人にもあこがれていたんですけど、逆にその気持ちが強すぎて自分は芸人にはなれないと思っていたんです。
松本人志さんが著書「遺書」の中で、不幸な要素がない芸人は面白くない、売れないというようなことを書いてらっしゃったんですけど、自分は特に不幸を背負っている生い立ちでもないし、ありがたい話、普通に暮らしてきた方だなと。となると、芸人には向いていないなろうなという思いがずっとあったんです。
なので、応援団長をやったり人前に出るのは好きだったんですけど、芸人という道を志すことはなく、大学に行って、地元・長崎のケーブルテレビに就職しました。
ただ、そこで取材、編集、出演と全部をやることになって、出役をしている自分を見た姉が「そっちに行くのがいいんじゃない」と言ってくれて、その言葉に押されて東京に出てきたというのがこの世界に入るまでの流れです。
堀之内:僕は大学までプロのサッカー選手を目指していたんです。地元の同級生が日本代表の大迫勇也で、リアルに僕もプロを意識していたんですけど、残念ながらそちらに進むことはなく、そうなると就職かと。
そこで今一度、自分の適性を考えた時に思ったんです。プロになる選手を間近で見ていて、みんなに共通するのは“足が速い”とか“背が高い”とか何かしらの才能を持っている人がさらにそこを伸ばす努力をしていることだと思ったんです。
じゃ、自分がこれから仕事をしていく上で磨くべき部分はどこなんだろう。それを見つめ直した時に出てきたのが「面白いことをする」というところだったんです。
僕は一人っ子ですし、その上、親は大学を出たら学校の先生になると思っていたみたいで。芸人という思いもよらない道を伝えると、これはもう、怒られました。
ただ、もう自分の中ではこれしかない。自分で自分の背中を押すというか、強烈に蹴り飛ばしてとにかくその世界に入ったという感じでした。
―実際にお笑いの世界に入ってから感じたことは?
大崎:自分は漠然と通用しないと思って入っているので、どこかで無理だろうなと。どうせ通用しないだろうなと思って入ったんですけど、入ってからは楽しいという感覚しかない。
長崎出身なので回りには漫才ノリがない。掛け合いとか、関西の芸人さんに学んで、楽しいなあと。入ってから芸人の面白さを知りました。周りの人に恵まれていたのだと思います。仕事がなくてお金もないしということはあったけど、楽しい。自分のコンプレックスもいじってもらって笑いになる。武器になる。本当に楽しい。芸人になって後悔したことはない。
親父からもらった言葉があって、『どの道を選んでも後悔はする。でも、もう選んだ以上は迷わずいけ』なので、あとは後悔をどれだけ小さくするか、という作業ですよね。
堀之内:僕は「自分が一番面白い」と思って入ったつもりだったんです。この世界に、よくある話ですけど(笑)。
ただ、実際にというか、養成所の頃はその中のネタバトルみたいなところではずっと優勝できてたんです。ナニな話ですけど、養成所の頃だと、声が大きくて、元気があって、そこそこ器用だったら通用する部分がある。まさに僕がそうだったんだと思います。
でも、自分でも「これでは浅いというか、これから難しくなる」という思いもあったんです。一方で、今は勝ててるし、近い結果がほしいという気持ちもある。そんな思いでやっていたんですけど、自分のすぐ下に「四千頭身」が入ってきて、そこでショックを受けました。
自分の逆で、ボソボソと小さな声でやるんだけど、一つ一つが本当によくできている。面白い。そこで改めて自己流のフォームの限界というか、本当にウケるためにはどうしたらいいのか。それを考えていくようになったと思います。
―お笑いの世界に入ってからそれぞれ別のコンビで活動をされていましたが、この二人でやろうとなったきっかけは?
堀之内:僕の方が後輩なんですけど、とにかく大崎さんのことが面白くて、すごいなと思っていたんです。
前のコンビを解散して、新たな相方を考えた時に“ネタが書ける人”か“突き抜けて面白い人”かどちらかを探そうと思っていたんですけど、そこで僕が“突き抜けて面白い人”だと思っていた大崎さんを選んで相談したという形でした。たまたま一緒に写っている写真があったんですけど、その写真を見ても二人のフォルムから「売れそうだよな」というニオイがプンプン出ている気がしたんですよ(笑)。
大崎:写真だけ見て「売れそう」と言われてもね(笑)。ただ、やっていく中で手ごたえを感じられたというか、紆余曲折はありましたけど、この二人が楽しんでやれる形を見つけようとなってからは笑いが伴ってきた。その感覚はありましたね。
堀之内:コンビとしては遅いスタートのコンビですし、遠回りしてられない。その思いもありました。ただ、自分たちが「これだ」と信じてその道を行っても、それが正解かどうかを見極めるのは難しい。
そんな不安はずっとあったんですけど、そんな中で去年、数少ない番組出演の機会をいただいた時に千鳥さんが「面白い!」と言ってくださったんです。そこからかわいがってくださって飲みに連れて行っていただくようにもなったんですけど、面白い人が「面白い!」と言ってくださる。先が見えない中で、この言葉は本当に大きな支えになりました。少なくとも、この道は間違ってはいないんだという思いをいただいたなと。
なので、まだまだスタートしたばかりですけど、その「面白い!」に応えられるような存在になれるよう積み重ねをしていきたいと思っています。
■ちゃんぴおんず
1990年3月5日生まれで長崎県出身の日本一おもしろい大崎(本名・大崎義孝)と91年1月11日生まれで鹿児島県出身の堀之内大輔がそれぞれ別のコンビを経てコンビ結成。22年にコンビ名を「ちゃんぴおんず」に定める。ワタナベエンターテインメント所属。今年元日に放送された日本テレビ「ぐるナイ おもしろ荘」で“ちょんってすなよ”のリズムネタを披露し優勝。
執筆者プロフィール
中西 正男(なかにし まさお)
1974年生まれ。大阪府枚方市出身。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚などを大阪を拠点に取材。桂米朝師匠に、スポーツ新聞の記者として異例のインタビューを行い、話題に。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、テレビ・ラジオなどにも活動の幅を広げる。現在、朝日放送テレビ「おはよう朝日です」、読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」などにレギュラー出演。また、Yahoo!、朝日新聞、AERA.dotなどで連載中。
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