ザテレビジョン統括編集長・内山一貴さん(前編)〜ユニクロ店長からテレビ誌編集者に転身した熱い熱い男〜

2019.12.20

「ザテレビジョン」と言えば、テレビ雑誌の代名詞。ドラマやバラエティを中心に、テレビ番組をこってり取材し充実した記事を掲載する雑誌だ。最近はWEB版も展開し、スマホでしょっちゅう記事を目にする人も多いだろう。Twitterでも発信しており、そこでは動画も配信している。その動画で真剣にテレビについて語るのが、「ザテレビジョン」統括編集長の内山一貴氏だ。テレビについて書く人びとにインタビューするシリーズ「テレビを書くやつら」、今回はその内山氏に聞いてみた。ユニクロ店長という意外な経歴も含めて、洪水のように言葉を繰り出す内山氏の話をぜひ読んでもらいたい。

【聞き手/文:境 治】

演劇青年がなぜかユニクロ店長になり、なぜかテレビ誌へ

聞き手・境治(以下、S):テレビ誌の編集者というと、やっぱり子どもの頃はテレビっ子だったのでしょうか?

内山一貴氏(以下、U):テレビは普通に見てました。幼い頃は「8時だョ!全員集合」でしたが、小学校高学年から中学生時代に「夢で逢えたら」などでダウンタウンやウッチャンナンチャンに出会ったのは大きいですね。ダウンタウン一派は「そんなのありなの?」というほどムチャクチャやっていた。一方でウンナンの品のあるセンス、スタイリッシュな笑いも好きでした。違う方向性の笑いが、二つあるのは幸せでした。大河ドラマも見ました。「翔ぶが如く」は西田敏行さんの西郷隆盛が、鹿賀丈史さん演じる大久保利通と二人でやっていくバディもの。これは今もはっきり覚えている大河です。もちろん木村拓哉さんや菅野美穂さんが出る恋愛ドラマも見てました。ただとくにテレビっ子というわけではなく、漫画も映画も好きでしたね。

S:学生時代からテレビ関係の仕事をやろうと思ってたんですか?

U:そうでもなくて、本や雑誌が好きでした。それと、大学で演劇やっていたんです。大学は成蹊大学でしたが、早稲田大学の演劇サークルに入ってました。いろんなサークルがあって、早稲田の学生じゃなくても誰でも入れるんです。例えば早稲田大学演劇研究会というところに堺雅人さんが当時いて、本当に魅力的な役者だなあと思いました。ぼくは演劇倶楽部というサークルに入ったら、小手伸也さんが先輩としていた。小手さんの同期が映画監督の三木孝浩さん。映画「何者」を監督した三浦大輔さんとか。「いだてん」のオープニングを作った上田大樹さんは今年読売演劇大賞を受賞してます。
小手さんは当時からずば抜けて面白かったです。サークルだけど気合入っていて、一緒にいることが楽しくて。本当にみんな本気でやっていましたね。芝居以外なかったから。でも、自分はこの道は違うかもなと考えて99年にユニクロに入社しました。商売の勉強をしようと思ったんです。東京以外に行きたいと希望を出して九州の佐賀宮崎と移ってたら、店長になりました。ちょうどユニクロがフリースが売れてどんどん拡大し始めた頃ですね。
三年やったら、やっぱり本やドラマが好き、雑誌が好きだったと気づいて。

S:それはまた突然ですね!

U:その頃、俳優のインタビュー記事をたくさん読んだんです。コンテンツは時間との関係で分けられる。テレビはコンテンツ側が時間を支配しているけど、雑誌や本はユーザー側で時間を選んでじっくり対峙できる。インタビュー記事は役者と読者が一対一になるなと思いました。俳優のインタビューがやりたい!やっぱり編集やろうと決めて、宣伝会議の編集者養成講座で勉強していたら、運良く角川書店(現・(株)KADOKAWA)に入れたのが27歳の時ですね。それからずっとザテレビジョンです!

S:それは何年頃ですか?

U:2003年です。ドラマWが始まった年だったのを覚えています。雑誌とテレビが両方できるから「ザテレビジョン」はおいしいと思いました。テレビ朝日の番記者になれと任命され、日々記者席に詰めました。最初に取材した大型番組が、石原裕次郎を描いたスペシャルドラマ「おとうと」。そして「エースをねらえ!」や「いきなり!黄金伝説」。「『ぷっ』スマ」「内村プロデュース」なども取材しました。テレビ朝日さんがどんどん面白くなる時代です。
それからTBSに担当替えになって「うたばん」を取材したり、ドラマ好きだったんで「華麗なる一族」と「花より団子」を同じクールに取材して感激しました。中でも「白夜行」は印象に残ってます。脚本の森下佳子さんとプロデューサーの石丸彰彦さんの作品で、同じスタッフで「JIN-仁-」につながっているんですよね。「白夜行」はKADOKAWAが出版してドラマ本になりました。山田孝之さんが夜中まで撮影があってそのあとインタビューお願いして。凄かった!気持ちが凄かった!役者の方とディープに接する強烈な体験でした。
今度はフジテレビ担当になって「ヘキサゴン」を取材しました。羞恥心とPaboが大人気で、「ザテレビジョン」の表紙を飾ってもらいました。「めちゃイケ」も担当してちょうどオカザイルが人気の頃で、レモンが表紙の「ザテレビジョン」はオカレモンもあったから注力しました。プロデューサーの中嶋優一さんがよくしてくれました。
取材を通じてスタッフのみなさんへの尊敬は絶えませんでした。タレントさんたちと一緒に作ってるんだなあと。

局担当を卒業し編集になって、気がつくと「ザテレビジョン」をずっとやってるのはぼくだけですね。副編集長になってからは、タレント事務所と相対する仕事もやりました。・・・こうやってお話しすると、自分で自分の足取りがわかりますね(笑。
内山編集長(右)と聞き手の境治氏(左)

「ザテレビジョン」ブランドで紙でもWEBでもイベントでも

S:ザテレビジョンの仕事は面白かったですか?

U:つまんないと思ったことはありません。ずっと走ってきた感じですね。

S:いまの統括編集長はどんな役割ですか?

U:週刊の編集長でありつつWEB編集チームと連携する立場です。大げさにいうと、ブランドをどう使うかを考える仕事。「ザテレビジョン」は37年やってきてユーザーとの関係や局さんタレントさんとの関係ができている。WEB版も使ってコンテンツをつないでブランド戦略としてやっています。
紙はダメだとかデジタルはダメとかではなく、コンテンツだよねとスタッフに言っています。
テレビ局は面白いことのホルダーで、スマホのニュース記事の中でもテレビ関係はランキング上位に行く。面白いコンテンツは変わらない。接し方が変わってくるだけ。

S:「ザテレビジョン」はずっと紙でやってきて、どうしてデジタルを意識したんでしょう?

U:世の中がシフトしています。「紙だけをやりたい」と考えるのはよくないと思います。ぼくたちはコンテンツのプロデューサーで、ユーザーにコンテンツを届けなきゃならない。ユーザーは選んでます。WEBは便利だとか、紙は保存できていいとか。打ち手はたくさんあっていいわけです。

S:うまくやってるように見えますが方針は?

U:会社は完全にデジタルシフトです。デジタルによってプリントの実売も上がるし価値を補完できるという考え方。紙はリアルな体験を提供できる。触ったり大きく見れたり切り抜いて取っておいたりできる。紙は廃れないと言いたいわけじゃなく、デジタルも使うし紙も使う。ユーザー様といろんな接触を持つ、それでいいと思っています。
S:ドラマのファン、タレントファンはWEBの情報とは別に紙でじっくり眺めて保存することに価値を感じるでしょうね

U:きれいだったりしますしね。だからデジタルやりたい、紙やりたいじゃない。「ザテレビジョン」のブランドを使ってお届けするのだという考え方。ひょっとしたらイベントかもしれないですし、「一緒に取材に行こう」かもしれない。「このドラマの話をみんなでしよう」とか。

S:ブランドがあればどんな関わり方もできる、ということですね?

U:ブランドを潰すのはもったいない。本が売れない時代だけど、本を通していろんな体験、新しい価値を提供できます。飾っておきたいと思われるような本はすごいですし、提供される価値が違う。修学旅行でペナントやお守りを買うのは、修学旅行という思い出をきざみつけるためですよね。デジタルと紙、それぞれの価値をうまく使い分けて提供することで、ザテレビジョンのブランドをもっと生かせると考えています。



内山氏の言葉は、マシンガンのようにものすごい勢いで飛び出てくる。インタビューでは、文字を追うよりずっと速いスピードで言葉が連なっていた。そこには、多大な熱量がこもっている。熱量の高さが、言葉を溢れさせるのだと感じた。テレビ誌の世界を走ってきた内山氏の話の、後編では「ザテレビジョン」が標榜する「視聴熱」について聞く。続きも、乞うご期待!

後編はこちら
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