【ミヤネ屋・蓬莱さんコラム】僕の師匠の話

2024.09.10

僕の恩師であった読売テレビ前気象キャスター、小谷純久(よしひさ)氏が2024年8月24日76歳で亡くなりました。
昭和の時代からNHKや各民放に出演され、平成元年~23年まで読売テレビの気象キャスターを務められました。

僕との関係は、小谷さんが引退する前の1年間、つきっきりでご指導を仰ぎました。
当時2011年3月気象キャスターのバトンを渡された時
小谷純久さんがどういう気象キャスターだったかというと、背が高くダンディーな声で天気予報を伝えてくれる方でした。
観測、実際の空、季節の移ろいの体感を大切にする土台がしっかりとした気象人・・でありながら、気象キャスターらしからぬロケもする型破りさもありました。
普段着はウェスタンが好きで、オシャレであり紳士的な風流ある立ち振る舞い。
若い頃はやんちゃな性格だったようですが・・。
僕が1年間、ずっとついて勉強させてもらっていた時の仕事ぶりは、ユーモアを常に忘れない、人にも自然現象にも丁寧な方でした。
プライベートでは奥様とすごく仲が良く、夫婦共々お世話になりました。
引退後てんぷら屋さんを営まれ、1年に1度くらいのペースで会いに行っていました。
2022年お店「桶屋乃隠居」にて

「いつもは仕事で観れないけど、たまに観てるよ」と
よくおっしゃっていただき、その言葉が天気予報を伝える直前にふと頭をよぎることがありました。師匠がたまに観ているんだということが、気象人としてフラフラ迷いそうになった時に、何度助けてられていただいたか。
ありがたい重りのような言葉になりました。

小谷さんから頂いた言葉で気象キャスターとして座右の銘にしているものがあります。

周人皆師

本来、辞書で調べると「衆人皆師」とあります。
どんな愚かな人からも反面教師として学ぶことができ、自分以外全ての人から学びがある。と。
僕に教えてくれたのは、衆人を周人に変えた言葉でした。大衆の「衆」では、自分が上で周りを見下した言葉になるので、「周」の字に変えて少し角を丸くした表現にしたのだと思われます。小谷さんの謙虚な姿勢がうかがえます。

「周人皆師」の言葉の解釈は、
自分以外の周りの人から多くのことを学び、おごらず、謙虚に、農業、漁業、天気に左右される全ての人たちの経験則を実際に足を運んで学びなさい。
数字やコンピュータ上の気象データだけではないものを大切にしなさい。
誰かが用意した台本の言葉ではなく、自分の言葉として伝えなさい。

自分がこの仕事をしていて運が良かったなと思うことは、人との出会いです。
師匠という存在があったからこそ、これまで道を外れず来れたと思います。
「いつもは観れないけど、たまに観てるよ」
この言葉がいつも頭の片隅にあり、気象人としてやるべきこと、伝えるべきことにまい進できたと思います。

人生の師や恩人というのは、空に輝く星のようだと思います。
普段は会えなくても、自分が歩む道の途中で方角がわからなくなった時に、見上げれば空から見守ってくれていて、自分の進むべき道標となります。
星それ自体は、僕を運んではくれません。
しかし、その星は、離れた所から見守って、光燦然と輝くことで、時に誤った方向へ進まずに済みます。
見上げた時の星は多ければ、道しるべとしてなお良いかもしれません。
ただ、たった一つでも自分の空に北極星があれば、それだけで勇気を持って前に進めると思います。

小谷さん、今までありがとうございました。そして、これからも天気コーナーが始まる直前に「たまに観てるよ」、あのダンディーな声を思い出して、気象人として精進します。
2023年3月闘病の合間でytvを訪問
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