放送作家・倉本美津留(後編)〜やってられへん無茶しよう、とみんな言い出せばいい

2018.03.01

連載『テレビを書くやつら』の第一弾、放送作家・倉本美津留氏に聞いた後編をお届けする。ダウンタウンと出会った衝撃から、「ダウンタウンDX」に携わったこと、東京に出てきたこと。そしてこの20年間でテレビ番組はどう変わったか、ネットが登場した中で番組づくりはどう進めばいいか。興味深い話題を次々に語ってくれた。前編もあらためて併せて読んでもらえればと思う。

【聞き手/文:境 治】

ダウンタウンが関西弁でシュールなコントをやった衝撃

-ダウンタウンとはどんな経緯で出会ったんですか?

倉本美津留(以下、倉本):「ヤングタウン」(MBSのラジオ番組・通称ヤンタン)の構成をやってた時、パーソナリティの島田紳助さんがラジオをもうそろそろ卒業したいと言い出されて、ついては「バトンを渡したい芸人がおんねん。うちの会社に学校できてな。講師で行ったらおもろいのがおって、今度連れて来るわ」と。それがダウンタウンでした。まだNSC(吉本総合芸能学院)の生徒だった彼らがヤンタンのスタジオに来て、紳助さんにあのネタやれよと言われてやったのが伝説の「誘拐ネタ」だったんです。いやあ、びっくりしました。今まで誰もやったことがないことやってる!って。それまではシュールなコント=標準語でやるという固定観念があったんですよね。それをダウンタウンは普通にリアルな関西弁でやってのけた。これはやばいと思いましたね。ビートルズがリバプール訛りのままでロンドンに出てきたみたいな!それを目の当たりにして「この二人がこれからの笑いを変えていく!」と瞬間的に確信しました。そしてそこで自分も役に立てるはずだと思ったんです。おこがましいですが、ビートルズにおけるジョージ・マーティン的な感覚に近かったんだと思います。そこからダウンタウンのヤンタンが始まって少しずつ親密になっていくんですけど、その流れで「EXテレビ」にダウンタウンにゲストで出てもらいました。読売テレビのプロデューサーの「そうか。倉本はダウンタウンと仲がええねや。あいつらおもろいから番組作りたいなぁ紹介してくれ」の声から始まって、他局の番組で人気も出てきてるしとステップアップ的に「ダウンタウンDX」がスタートしました。

ダウンタウンに呼ばれ、「EXテレビ」効果もあって東京へ

-倉本さんは他にも、ダウンタウンのいろんな番組に関わってきていますね

倉本:MBSでは「ヤングタウン」が紳助さんからダウンタウンに代わっても引き続き構成をやっていました。ラジオはスタッフの人数が少なくて意志の疎通がすごく深くなるんで、繊細なやりとりまで共有できる関係が築けたんだと思います。そのうちダウンタウンが東京に呼ばれてフジテレビで「夢で逢えたら」が始まって、さらに新番組をTBSでやるという時に、東京にブレーンとして来ないかと松本氏に声をかけてもらいました。彼らのそれまで誰も見たことがなかったような笑いを瞬時に理解して盛り上げるのが、東京の初めて組むスタッフにとってはなかなか難しいところもあったのではないかと思います。そのときの番組が「生生生生ダウンタウン」です。すでに始まっていたフジテレビの「ごっつええ感じ」にも次の段階に進むタイミングで入ってくれと参加することになりました。

-倉本さんご自身も東京に拠点を移したのでしょうか?

倉本:「EXテレビ」をやって良かったのは、全国ネットの生放送だったので、東京の人たちにも見てもらえていたことです。東京の制作会社の人たちが大阪のあの番組をすごいと思ってくれてたみたいで「どうやったらあんな番組できるのか不思議」と、いろいろと訊かれたりもしました。奇しくも松本氏に声をかけられたのと同じタイミングで、MBSが東京で制作していた「ジャングルテレビ」のプロデューサーから、東京での会議に参加しないかと声をかけてもらったんです。「ジャングルテレビ」の制作会社であるイーストの会議室に呼ばれて、「大阪でEXテレビ作ってる倉本さんです」と紹介されたとき、質問攻めにされたんです(笑)。「あの企画はどうやってあそこにたどり着いたの?」「どういう作り方なんですか?」と細かく訊かれました。そこからイーストのいろいろな番組に参加させてもらうことになったんです。「EXテレビ」という番組が、すごくいい名刺代わりになったというわけです。それは非常にラッキーでしたね。

若者は刺激をテレビ以外に求め、テレビは刺激が要らなくなった

-今テレビ番組づくりが難しくなっていると思います。どういう変化が作り手にとって起こっているのでしょう?

倉本:昨日今日にはじまったことではないですね。話をさかのぼりますが、「EXテレビ」の枠が「BLT」になって「RRR」になって、1時間が45分になって30分になって……。最終的にその予算が朝のワイドショーに移って消えてしまいました。実験的な企画をどんどん試せた時代から、だれでも安心して見られるわかりやすい番組を、という方針が強くなっていった感じはありました。
エッジの立ったことに挑戦する、0点か100点かわからないけど賭けてみる、というような勢いはなくなっていきました。そうなると、若者は刺激的なものをテレビ以外に求めだす。ゲームに向かったり、サブカルに向かったり。またインターネットも台頭して来ました。そうなっていくとどうしても若者層のテレビ離れが起こりますよね。テレビには当然、視聴率をとらなければならないという命題があるわけです。視聴率を取るには、テレビ以外のことに興味が移っていっている若者層じゃないところに的を向けていくことになりますよね。その層はテレビに刺激を求めているわけじゃない。だから、批難されない無難な企画でそこに応えていくという正解も出てくる。そのスパイラルが20年以上続いた結果が今の状況なんだと思います。
「EXテレビ」では本当に実験的なことをやっていた。それができたのは守ってくれる人がいたからなんですね。チーフディレクターの梅田尚哉(現・読売テレビ取締役営業局長)氏は、毎回上司とかなり戦ってくれていたみたいです。実はそれがわかったのはつい最近なんですけど。ぼくの人生をドキュメンタリー作家の木村元彦さんが本にしてくれて、その中でぼくにまつわるいろんな人たちにたくさんインタビューしています。そこで梅田氏のインタビューを読んで、そこまで喧嘩してくれてたんや!と知って感動したんです。無茶なひらめきを叶えるためにそこまでやってくれてたのか、悪いことしたなあと(笑)
そういう気概のある人間がいたからできたんでしょうね。テレビ局にはそういう頭がおかしい権力者が必要なんですよね(一同爆笑) 今の時代、みんな人間的に成熟していて“いい人”ばかりになっていますから、おかしな人は弾かれがちです。でも本当はそういうおかしな人がいるから、新しいものが生まれてくるんだと思うんです。

ネットの時代、作り手にとっては面白くなる!

-ネットの時代になって作り手はどう向かえばいいでしょう?

倉本:今ネットのメディアとキー局が組む試みも始まっていますけど、そういうこともより一層進んでいくんでしょうね。象徴的なのは、地上波の中でNHKがいま1番ぶっ飛んだことをしているという事実。特にEテレは基本的に視聴率至上主義ではないので、かなり実験的なことができていますね。むかし民放の深夜でやれていたようなエッジが立った企画は、今やEテレでって感じですもんね。若い視聴者がネットにどんどん流れて、民放も「さぁこれからどうする?」というところまで来ています。背水の陣的力学が働いてきっと面白くなる、面白くしていくしかないですよね。「思い切って無茶しようか」といよいよ肚を括るときがきたんです。
たとえば、地上波とネットで同じ番組を見せるといったこともおもしろいかもしれません。ネットのほうではノー編集でフルで見せてしまう。それを「ダウンタウンDX」でやれたらおもしろいだろうなぁ。DXって本当は編集しなくても全部面白いんですよ。LIVEイベントとしてみても、すごく面白い作りになっている。おもしろポイントを整理した編集版をテレビで放送して、ゆるく楽しめるノー編集版をウェブで流す。それをやることで地上波もネットも双方盛り上がっていく。新しいメディアの使い方が開けるかもしれないですよね。あの面白さをスタジオに来てる人だけしか楽しめないって、めちゃくちゃもったいない!!(「DX」プロデューサー勝田恒次氏に向かって)まじでやらへんか!!


話の中に登場する本、「すべての笑いはドキュメンタリーである」(著:木村元彦・太田出版)には「EXテレビ」スタート時の番組内容が克明に記されている。文字で読んでも声に出して笑ってしまうほど、荒唐無稽なことをやっていた。そして放送するたびに梅田氏が社内でこっぴどく叱られていたこともわかる。また倉本氏が時にスタッフに本気で怒鳴りながら面白いこと、新しいことを徹底的に追究していたことも描かれている。面白い番組を作ることは、そんな闘いを続けることだったのだ。倉本氏は今も熱をまったく失っていないばかりか、ネットでも何かしでかしそうな勢いだ。音楽をやりたくて放送作家になったのだから、場所やメディアはどこでもいいのかもしれない。だってきっと今だって、ジョン・レノン越えをめざしているのだろうから。
倉本 美津留 プロフィール
くらもと みつる 
放送作家。1959年生まれ。広島生まれ、大阪育ち。
『ダウンタウンDX』『М‐1グランプリ』『シャキーン!』『浦沢直樹の漫勉』ほか、数々のテレビ番組を手がける。これまでの仕事に『ダウンタウンのごっつええ感じ』『伊東家の食卓』『たけしの万物創世記』『EXテレビ』『松紳』など。
著書に『超国語辞典』『現代版判じ絵 ピースフル』(本秀康氏との共著)『明日のカルタ』『ビートル頭』。また、ミュージシャンとしての顔ももつ。
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