【大分県】バスガイドも?温泉マークも?別府観光のアイデアマン油屋熊八って何者?
2023.03.17
大分県の偉人と言えば、キリシタン大名・大友宗麟、学問ノススメ・福沢諭吉、荒城の月・滝廉太郎、鉄腕投手・稲尾和久などが有名だ。だが大分県有数の温泉観光地・別府では油屋熊八こそが一番の偉人とリスペクトされているという。
別府の駅前にはその油屋熊八の銅像が建っているのだが、なぜかバンザイポーズ、背中のマントには温泉マークが描かれ、どこかコミカルだ。ネームプレートには「別府観光の父」とあるので観光関係の偉人らしいのだが、ちょっと変人?
別府の駅前にはその油屋熊八の銅像が建っているのだが、なぜかバンザイポーズ、背中のマントには温泉マークが描かれ、どこかコミカルだ。ネームプレートには「別府観光の父」とあるので観光関係の偉人らしいのだが、ちょっと変人?
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別府でおしゃれなハットのお兄さんに「別府の偉人と言えば?」と聞くと「油屋熊八さん!」と即答。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という熊八さんが作ったキャッチフレーズを教えてくれた。「別府温泉を世界的に有名にした人です。」と誇らしげに言うので、偉人のレベルを聞くと、「九州で言ったら西郷隆盛さんレベル」とまで言ってのける。
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旅館の女将さんによると「四国生まれで、大阪の相場で成功。波乱万丈の人生だったようです。」とのこと。どんな人かを聞くと、「時代に合わせて新しい事を起こす人で、ジェフ・ベゾスみたいな人」ええ?Amazonの創業者の名を出すとは、大きく出過ぎでは?
子どもたちも油屋熊八さんを知ってるか聞くと、「知ってます!」「知ってます!」と一斉に回答。「尊敬と感謝してます。」ええ?そこまで?「温泉という別府の唯一の取り柄をみんなに親しまれるものにした」「熊八さんがいなかったら別府は有名じゃなかったかもしれない」「住んでる人を笑顔にする、別府の未来を変えてくれた人」昔の人がここまで子どもたちに褒められる事は他にないのでは?
子どもたちも油屋熊八さんを知ってるか聞くと、「知ってます!」「知ってます!」と一斉に回答。「尊敬と感謝してます。」ええ?そこまで?「温泉という別府の唯一の取り柄をみんなに親しまれるものにした」「熊八さんがいなかったら別府は有名じゃなかったかもしれない」「住んでる人を笑顔にする、別府の未来を変えてくれた人」昔の人がここまで子どもたちに褒められる事は他にないのでは?
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油屋熊八は、江戸末期から昭和に生きた愛媛県宇和島市出身の実業家。大阪で若くして米相場で財をなすが日清戦争後に全てを失う。その後、渡米して出会った聖書の言葉が「旅人をねんごろにせよ」つまり「おもてなし」の精神。
明治44年、別府に移り住んでいた48歳の頃に亀の井旅館を創業して観光事業に着手。この事業は今の「亀の井ホテル別府」に受け継がれており、ホテル内の郷土料理の店は「油屋熊八亭」という名前だ。わかってきたけど、ホテルを創業しただけでリスペクトされるの?
油屋熊八の真価はここからだ。地元の人が言うには「バスガイドを作った人」。つまりバスガイドの発祥は別府だったのだ。え?と驚いていると「知らんの?」と小馬鹿にされた。熊八が創業した亀の井バスの方によると、昭和3年に「地獄めぐり」の遊覧バスを始める際に、目玉として少女車掌を乗せたら大評判になり、観光客が急増したそうだ。バスガイドは憧れの職業になり、全国に広まった。今の売れっ子バスガイドさんは「今の別府があるのも油屋熊八翁のおかげです」とさすがのガイドぶり。「朝ドラでドラマ化されてもいい方だと思います。『マッサン』があったので『熊ハッサン』とか」ぐいぐい売り込んで来る。
明治44年、別府に移り住んでいた48歳の頃に亀の井旅館を創業して観光事業に着手。この事業は今の「亀の井ホテル別府」に受け継がれており、ホテル内の郷土料理の店は「油屋熊八亭」という名前だ。わかってきたけど、ホテルを創業しただけでリスペクトされるの?
油屋熊八の真価はここからだ。地元の人が言うには「バスガイドを作った人」。つまりバスガイドの発祥は別府だったのだ。え?と驚いていると「知らんの?」と小馬鹿にされた。熊八が創業した亀の井バスの方によると、昭和3年に「地獄めぐり」の遊覧バスを始める際に、目玉として少女車掌を乗せたら大評判になり、観光客が急増したそうだ。バスガイドは憧れの職業になり、全国に広まった。今の売れっ子バスガイドさんは「今の別府があるのも油屋熊八翁のおかげです」とさすがのガイドぶり。「朝ドラでドラマ化されてもいい方だと思います。『マッサン』があったので『熊ハッサン』とか」ぐいぐい売り込んで来る。
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また、先ほど出た「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」と書かれた標柱を、富士山の頂上に立てた。それから、桟橋を作って大型汽船が停泊できるようにして、大阪との定期便ができて来航が増えたそうだ。さらに、温泉マークを使用し全国に広めたのも熊八さんだった。だんだんわかってきたのは、油屋熊八は別府を観光地にするためのアイデアをどんどん実現していったのだ。
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別府市内にある資料館には、熊八が愛用したハットやカバンなど1000点もある。一人で集めた館長・平野芳弘氏は「こんな魅力的な人はいません」と、熊八さんに惚れこんでいる。「大河ドラマに取り上げてほしい」と、バスガイドさんに続いてアピール。「ケンミンSHOWの取材がきっかけになれば嬉しい」えっと、ではこの取材は大河化へのワンステップですか?と聞くと「そうですね」と平然と答える。踏み台にされてしまったよ。
別府市のお隣、玖珠町のイベントホールでは子どもたちによるミュージカルの練習が行われていた。踊りながら「湯の街別府でRide on. 油屋熊八 He is a man. 別府と世界でShake hand.」と歌っている。最後は例の「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府(湯は別府)」と湯は別府だけ繰り返すのがポイント。
駅前の銅像を作ったのは彫刻家・辻畑隆子さん。バンザイポーズについて聞くと「熊八さんが望んでいる事は、こっちを見てと注目させること」と考えてのことだそうだ。
この銅像、季節によってコスプレされる。冬はサンタクロース、夏はハワイアン、ラグビーが盛り上がった時はラインアウト風。偉人なのにイジられまくり。それくらい親しまれていると言うことかな。
別府市のお隣、玖珠町のイベントホールでは子どもたちによるミュージカルの練習が行われていた。踊りながら「湯の街別府でRide on. 油屋熊八 He is a man. 別府と世界でShake hand.」と歌っている。最後は例の「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府(湯は別府)」と湯は別府だけ繰り返すのがポイント。
駅前の銅像を作ったのは彫刻家・辻畑隆子さん。バンザイポーズについて聞くと「熊八さんが望んでいる事は、こっちを見てと注目させること」と考えてのことだそうだ。
この銅像、季節によってコスプレされる。冬はサンタクロース、夏はハワイアン、ラグビーが盛り上がった時はラインアウト風。偉人なのにイジられまくり。それくらい親しまれていると言うことかな。
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小学生たちに、大分県以外では熊八さんは知られてないと教えると「ええー?!」と絶叫して悲しがる。でも「知られてないなら色んな人に話して有名にしたい」と言うのを聞くとグッとくる。それくらい別府のみんなは熊八さんが大好きなんだね。確かにすごい人だもん。僕たちの胸には油屋熊八の偉大さがしっかり刻み込まれたよ!
【文:境治】
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