テリー伊藤さんにコロナ後のテレビを聞く(前編)〜「元気が出るテレビ」はなぜ元気が出たか?〜
2020.08.27
テリー伊藤氏を知らない人はいないだろう。テレビの作り手として、時に自ら出演もしながら時代を作ってきた。最近はコメンテーターとして顔を知る人も多いだろう。50代の筆者からすると、若い頃夢中になって見ていた「元気が出るテレビ」の総合演出としてリスペクトしてきた。タイトル通り、毎週日曜日に元気をもらっていたものだ。テレビをずっと作ってきたテリー伊藤さんは、どうやらターニングポイントを迎えているテレビの今後をどう考えているのか。じっくり聞いてみた。
【聞き手/文:境 治】
【聞き手/文:境 治】
©ytv
タレントに頼らず企画で勝負した「元気が出るテレビ」
境治(以下、境):コロナがどうテレビに変化をもたらすのかを、あまり重くならず伺えればと思っています。まず以前のテレビと、最近のテレビがどう違うのかを伺いたいのですが、私はちょうど学生時代に「元気が出るテレビ」が始まり社会人になってもずっと見てました。その後のヒット番組にも影響を与えた今のテレビのルーツだと思います。「元気が出るテレビ」はなぜ元気だったのかをまずお聞きしたいです。
テリー伊藤(以下、伊):「元気が出るテレビ」は、当時僕がテレビ東京さんで番組を作っていてちょっと視聴率を稼いでいたので、日本テレビさんが声をかけてくれたのがきっかけです。
境:タイトル通り、みんなを元気にするような番組にしようと始まったんですか。
伊:日曜日夜は、誰しも一番嫌な日だと思うんですよ。ぼくも学生時代に日曜日の夜がすごく嫌で、社会人になってもまた明日から会社かと毎週思っていた。だったら元気を出してもらいたいなと思ってタイトルをつけました。
実は番組が始まる何カ月か前に、ファッションデザイナーの山本寛斎さんが「元気主義」というショーをやってたんですよ。ああ元気っていい言葉だなと、この言葉を使って番組作りたいなと思ったんです。その後、山本寛斎さんに「元気が出るテレビ」に出てもらったときに、そんな話はしましたけど。
「元気が出るテレビ」になぜ元気があったかというと、タレントに頼らなかったことがやっぱり一番大きかったよね。僕が制作会社の人間だったこともあったと思います。
いまはそうでもないと思いますが、当時は制作会社の人間とテレビ局の人間とでは、芸能プロダクションの扱いが違いました。例えば電話して、○○テレビですと言えば「そうですかどんなお話でしょう」と話が進む。僕はIVSという会社にいたんですが、制作会社だと「なんですかそれ」ですよ。制作会社の存在がまだまだ認知されてない時代でしたから、そんなにいいタレントさんを使えないんですよ。その分、知恵で作って行くことになる。それが大きかったと思います。
あと僕は素人の方と接してるのが好きだったんで、「元気が出るテレビ」でも素人の方たちを集める企画を作ったのもいい方向に働いたと思います。テレビ東京で番組作ると、製作費が他のキー局のだいたい3分の1です。例えば、2時間で当時800万ぐらいだった。その中で利益を上げていかないといけない。当然タレントさんに使えるギャラも少ない。それでも、僕が視聴率を取ってたのは、アイディア出していったから。基本的に企画で勝負してましたね。そういうところがそれまでの番組作りとは違ってたんじゃないかな。新鮮に見えたのでしょう。
もう一つは、番組のショップを作ったり海の家を作って、テレビを見てる人が翌日そこに行けることも売りにした。スタジオの中で完結するんじゃない、スタジオを超えたもの。今だとドラマやアニメで聖地巡礼っていう形で現場に行きますでしょ。同じように、現場に行きたい気持ちを作った。1時間のバラエティ番組なんだけども、見たあとでも楽しめることを考えてました。
境:私も行きました、海の家!番組に参加してるような気持ちになって、楽しかった。最初から全体の方向性を決めてあったんですか?
伊:始まって、4回5回はわからなかったんですよ。たけしさんはコント的なものをやりたかったのかな。
テリー伊藤(以下、伊):「元気が出るテレビ」は、当時僕がテレビ東京さんで番組を作っていてちょっと視聴率を稼いでいたので、日本テレビさんが声をかけてくれたのがきっかけです。
境:タイトル通り、みんなを元気にするような番組にしようと始まったんですか。
伊:日曜日夜は、誰しも一番嫌な日だと思うんですよ。ぼくも学生時代に日曜日の夜がすごく嫌で、社会人になってもまた明日から会社かと毎週思っていた。だったら元気を出してもらいたいなと思ってタイトルをつけました。
実は番組が始まる何カ月か前に、ファッションデザイナーの山本寛斎さんが「元気主義」というショーをやってたんですよ。ああ元気っていい言葉だなと、この言葉を使って番組作りたいなと思ったんです。その後、山本寛斎さんに「元気が出るテレビ」に出てもらったときに、そんな話はしましたけど。
「元気が出るテレビ」になぜ元気があったかというと、タレントに頼らなかったことがやっぱり一番大きかったよね。僕が制作会社の人間だったこともあったと思います。
いまはそうでもないと思いますが、当時は制作会社の人間とテレビ局の人間とでは、芸能プロダクションの扱いが違いました。例えば電話して、○○テレビですと言えば「そうですかどんなお話でしょう」と話が進む。僕はIVSという会社にいたんですが、制作会社だと「なんですかそれ」ですよ。制作会社の存在がまだまだ認知されてない時代でしたから、そんなにいいタレントさんを使えないんですよ。その分、知恵で作って行くことになる。それが大きかったと思います。
あと僕は素人の方と接してるのが好きだったんで、「元気が出るテレビ」でも素人の方たちを集める企画を作ったのもいい方向に働いたと思います。テレビ東京で番組作ると、製作費が他のキー局のだいたい3分の1です。例えば、2時間で当時800万ぐらいだった。その中で利益を上げていかないといけない。当然タレントさんに使えるギャラも少ない。それでも、僕が視聴率を取ってたのは、アイディア出していったから。基本的に企画で勝負してましたね。そういうところがそれまでの番組作りとは違ってたんじゃないかな。新鮮に見えたのでしょう。
もう一つは、番組のショップを作ったり海の家を作って、テレビを見てる人が翌日そこに行けることも売りにした。スタジオの中で完結するんじゃない、スタジオを超えたもの。今だとドラマやアニメで聖地巡礼っていう形で現場に行きますでしょ。同じように、現場に行きたい気持ちを作った。1時間のバラエティ番組なんだけども、見たあとでも楽しめることを考えてました。
境:私も行きました、海の家!番組に参加してるような気持ちになって、楽しかった。最初から全体の方向性を決めてあったんですか?
伊:始まって、4回5回はわからなかったんですよ。たけしさんはコント的なものをやりたかったのかな。
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知的な要素を調味料として加えるのが大事
境:そう言えばたしか最初は会社を設定したコントでしたよね。
伊:松方さんが部長でした。でも多分、僕はコントが苦手だったんですよね。二、三回やってみてもあんまりピンとこなかったんですよ。これやっててもつまんないなって自分で気付いて止めようと。テレビ東京でやってたような何かもっと肩に力の入らない、くだらなくて面白そうなことをやりたいと思った。テレビ東京では本当にくだらないことずっとやってたんですよ。マムシ千匹のプールを泳ぐとか、今のYouTubeでやるようなことをずっとやってた。今だったら絶対できないようなこと、全然平気でやってたんですよ。でも一方で、知的な匂いをさせた方がいいなと思って
境:知的な匂い?
伊:例えば、僕はあの「アサヤン(浅草橋ヤング商店街)」で料理対決をやったことあるんです。周富徳さんに出てもらって、負けると中華鍋でスキー場を滑り降りるとか、しょうもないことやってた。でも僕より賢い人がいて「料理の鉄人」を作った。あれは多分「アサヤン」で料理対決を見て、こいつら馬鹿馬鹿しいことやりすぎだと考えて作った番組だと思うんですよ。だから、テレビって面白いもんで、僕としては徹底的にくだらない方が面白いんだけども、ちょっとIQ高そうな要素をそこに調味料として入れた方が数字が来る。コメンテーターにCMディレクターの川崎徹さんを入れたのも、ああいう人たちがいるとバラエティなんだけれども感度が高そうな人たちも見てくれる。
境:そういう考え方だったんですね!僕はもともとコピーライターだったので川崎さんが出てるのも、まさにそういう感覚で、ちょっとサブカルっぽいと見てました。
伊:今もそうだと思う。サブカルっぽいものを入れてた方が見られる。僕自身は、嫌いなんです。下剤と下痢止め同時に飲んでどうなるかのほうが好きなタイプなので。
境:元気が出るテレビはどんどんどんどん中身が変わっていって、元気が出るテレビっていう箱の中に、新しいおもちゃが次々に入ってくる感じでした。まさに僕は当時、本当に毎週元気をもらっていました。
伊:ありがとうございます。
境:ちょっと話が変わるんですけど、そういう80年代から90年代のテレビがあったあとで、特にこの10年ぐらい、テレビが難しくなった気がします。例えば、テレビの中でコンプライアンスという言葉が飛び交ったりする。自分の若い頃のテレビって、テリーさんがやってた無茶苦茶なことをするのが確かにすごく楽しかったんですけど、最近はあんまりそういうものが見れなくなっていますよね。ずっと関わってらして、あるときを境に、何かそういう圧力みたいなものが出てきたんでしょうか。
伊:それはあまり関係なくて、やっぱりネットができたってことじゃないですか。僕がやってたようなことは今はネットでできますよね。
境:確かにYouTuberがやってることって似てますね。
伊:そうそうだから、映画しかなかった時代は、映画でやってた。テレビができたことによって、映画じゃなくてテレビに移行していった。今はテレビだけだった時代から、YouTubeになっていって、主導権は「自分」になってますよね。好きな時間に見れる。どこでも見れる。そうなると、テレビ自体の性格も変わってきている気がします。あと、若い人が見ない。高齢者と、子供たちが見て、昔テレビにキャーキャー言ってたような人はもう見ない。YouTubeで全部見れちゃう時代ですし、またNetflixもあるわけでそうなると、レーティングでも20%30%ってあるわけない。「半沢直樹」もあれはアレンジですよね、時代劇の。ああいう形にしていくぐらいしかない。
伊:松方さんが部長でした。でも多分、僕はコントが苦手だったんですよね。二、三回やってみてもあんまりピンとこなかったんですよ。これやっててもつまんないなって自分で気付いて止めようと。テレビ東京でやってたような何かもっと肩に力の入らない、くだらなくて面白そうなことをやりたいと思った。テレビ東京では本当にくだらないことずっとやってたんですよ。マムシ千匹のプールを泳ぐとか、今のYouTubeでやるようなことをずっとやってた。今だったら絶対できないようなこと、全然平気でやってたんですよ。でも一方で、知的な匂いをさせた方がいいなと思って
境:知的な匂い?
伊:例えば、僕はあの「アサヤン(浅草橋ヤング商店街)」で料理対決をやったことあるんです。周富徳さんに出てもらって、負けると中華鍋でスキー場を滑り降りるとか、しょうもないことやってた。でも僕より賢い人がいて「料理の鉄人」を作った。あれは多分「アサヤン」で料理対決を見て、こいつら馬鹿馬鹿しいことやりすぎだと考えて作った番組だと思うんですよ。だから、テレビって面白いもんで、僕としては徹底的にくだらない方が面白いんだけども、ちょっとIQ高そうな要素をそこに調味料として入れた方が数字が来る。コメンテーターにCMディレクターの川崎徹さんを入れたのも、ああいう人たちがいるとバラエティなんだけれども感度が高そうな人たちも見てくれる。
境:そういう考え方だったんですね!僕はもともとコピーライターだったので川崎さんが出てるのも、まさにそういう感覚で、ちょっとサブカルっぽいと見てました。
伊:今もそうだと思う。サブカルっぽいものを入れてた方が見られる。僕自身は、嫌いなんです。下剤と下痢止め同時に飲んでどうなるかのほうが好きなタイプなので。
境:元気が出るテレビはどんどんどんどん中身が変わっていって、元気が出るテレビっていう箱の中に、新しいおもちゃが次々に入ってくる感じでした。まさに僕は当時、本当に毎週元気をもらっていました。
伊:ありがとうございます。
境:ちょっと話が変わるんですけど、そういう80年代から90年代のテレビがあったあとで、特にこの10年ぐらい、テレビが難しくなった気がします。例えば、テレビの中でコンプライアンスという言葉が飛び交ったりする。自分の若い頃のテレビって、テリーさんがやってた無茶苦茶なことをするのが確かにすごく楽しかったんですけど、最近はあんまりそういうものが見れなくなっていますよね。ずっと関わってらして、あるときを境に、何かそういう圧力みたいなものが出てきたんでしょうか。
伊:それはあまり関係なくて、やっぱりネットができたってことじゃないですか。僕がやってたようなことは今はネットでできますよね。
境:確かにYouTuberがやってることって似てますね。
伊:そうそうだから、映画しかなかった時代は、映画でやってた。テレビができたことによって、映画じゃなくてテレビに移行していった。今はテレビだけだった時代から、YouTubeになっていって、主導権は「自分」になってますよね。好きな時間に見れる。どこでも見れる。そうなると、テレビ自体の性格も変わってきている気がします。あと、若い人が見ない。高齢者と、子供たちが見て、昔テレビにキャーキャー言ってたような人はもう見ない。YouTubeで全部見れちゃう時代ですし、またNetflixもあるわけでそうなると、レーティングでも20%30%ってあるわけない。「半沢直樹」もあれはアレンジですよね、時代劇の。ああいう形にしていくぐらいしかない。
©ytv
「元気が出るテレビ」にはその後のテレビ番組に繋がるあらゆる要素が入っていたと思う。その理由が少しわかった気がした。また、ネットの時代になったことをテリーさんがさらっと言ってのけているのも興味深い。後編では、「これからのテレビ」についてお聞きするのでお楽しみに!
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