【グッと!地球便】カナダ バンクーバーに日本のカレー店をオープン さらに次々と新たな事業に挑戦する息子へ届ける母の想い
2024.10.15
今回の配達先は、カナダのバンクーバー。ここでカレー店を経営する森川慧矢さん(37)へ、兵庫県で暮らす母・由美子さん(62)、妹・亜美さん(35)が届けたおもいとは―。
幼い頃から好奇心旺盛 カレー店が落ち着く時間になると別の顔も…
2020年、慧矢さんはバンクーバーのオフィス街にカレー店「Mr.Japanese Curry(ミスタージャパニーズカレー)」をオープン。カナダには居酒屋やラーメン屋など日本の料理店やインドカレー店は数多くあるものの、開業当時は日本式のカレーライスの店は全くなかったそうで、料理は素人だったが勝負に踏み切ったという。「自信はなかったですけど、『やってみたい』という好奇心の方が強かった」と慧矢さん。イチから手作りする本格的なルーは、実家がある加古川市の食品工場に直談判し、何度も通って特別にレシピを伝授してもらったもの。手探りで始めた店は、いまや多くの地元のお客さんで賑わっている。
幼い頃から好奇心旺盛で、良いと思った事はとにかくやってみる性格。高校卒業後は父の勧めもあって広島の大学に進学したが、興味の赴くままアルバイト三昧の毎日をおくった。なんとか卒業しIT企業に就職するも、今度は海外に行きたくなり、2年で退社。だが結局すぐには渡航せず、夜の仕事に就くなど紆余曲折の末、「このままじゃダメだ」と奮起し、英語を学ぶためフィリピンへ。1年間働いた後、ひとりでやってみようと10万円だけを握りしめてカナダへ渡ったのだった。
カレー店が落ち着く夕方、空いた時間をみつけては足を運ぶ場所が、地元で酒を扱う店。慧矢さんは「絆酒」というカナダで製造している日本酒の営業という顔も持ち、販売店を訪ねているのだ。絆酒の拠点があるのが、バンクーバーから内陸部へ5時間、ワインの産地として知られるオカナガン。この地で、2016年に番組でも取材した杜氏の春日井敬明さんが日本酒を造っている。実は将来、「カナダで温泉ビジネスをやりたい」という野望を持つ慧矢さんは、温泉には欠かせない日本酒に着目。そして2年前、春日井さんとオーナーのカンさんがリッチモンドからオカナガンに酒蔵ごと移転して会社を設立したときに、「何でもやります」と名乗りを上げ、仲間入りしたのだった。
いつもカバンに忍ばせ日々確認する“未来予想図”
そんな慧矢さんがいつもカバンに忍ばせているのが、自分の人生設計を書き出した計画書。「30代 軍資金をためる」「40代 大きな事業に打って出る」など、60歳、あわよくば80歳までの人生でやり遂げるべき事柄が並び、日々ファイルを取り出してはちゃんとできているか確認しているという。
そこまでの“未来予想図”を作るきっかけとなったのが、7年前、父・賢一さんから掛かってきた突然の国際電話。末期のすい臓がんで、余命が半年だという連絡だった。慧矢さんが日本に帰国できたのは2か月後で、その6日後、父は59歳で他界。カレー店も孫の顔も見せることは叶わなかった。
父は、慧矢さんが妻・カトリーナさん(30)と結婚するときに、森川家の家系図や仕事、趣味などを20枚ほどの資料にまとめ、彼女の家族にプレゼンするような人だった。そんな父がずっと言っていた言葉が「感謝 感激 感動」。慧矢さんは今もその言葉を強く噛み締めて毎日をおくっているという。
最初は、飲食が未経験だったことや、妻子がいる中でもさまざまなことに挑戦する様子を心配していた母・由美子さんと妹・亜美さん。だが、亡き父の言葉を胸に目標に向かって突き進む慧矢さんの姿を見て涙を浮かべる。また、2人は父との共通点にも気づいたようで、由美子さんは「主人も先々のことを考えてメモをしていく人だったので、そこがよく似ているなと思って…」と明かす。
次々と新しい試みに挑み続ける息子へ、母からの届け物は―
カナダへ渡り11年。次々と新しい試みに挑み続ける息子へ、母からの届け物は1本の古びたカセットテープ。そこには、赤ちゃんの頃の慧矢さんをあやす父の肉声が入っていた。懐かしい声に耳を傾けた慧矢さんは胸に去来するものがあったようで、「もうちょっと家族に時間を使いたいとはっきり思いました」と語る。さらに、「『感謝 感激 感動』ってなかなか言葉で伝えるのは難しかったりするけど、でも心に留めてるだけでは伝わらない部分も多い。これからは自分の言葉でお父さん、お母さん、家族に、『ありがとう、大好きだよ』って伝えていきたいと思います」と決意するのだった。
幼い頃から好奇心旺盛 カレー店が落ち着く時間になると別の顔も…
2020年、慧矢さんはバンクーバーのオフィス街にカレー店「Mr.Japanese Curry(ミスタージャパニーズカレー)」をオープン。カナダには居酒屋やラーメン屋など日本の料理店やインドカレー店は数多くあるものの、開業当時は日本式のカレーライスの店は全くなかったそうで、料理は素人だったが勝負に踏み切ったという。「自信はなかったですけど、『やってみたい』という好奇心の方が強かった」と慧矢さん。イチから手作りする本格的なルーは、実家がある加古川市の食品工場に直談判し、何度も通って特別にレシピを伝授してもらったもの。手探りで始めた店は、いまや多くの地元のお客さんで賑わっている。
幼い頃から好奇心旺盛で、良いと思った事はとにかくやってみる性格。高校卒業後は父の勧めもあって広島の大学に進学したが、興味の赴くままアルバイト三昧の毎日をおくった。なんとか卒業しIT企業に就職するも、今度は海外に行きたくなり、2年で退社。だが結局すぐには渡航せず、夜の仕事に就くなど紆余曲折の末、「このままじゃダメだ」と奮起し、英語を学ぶためフィリピンへ。1年間働いた後、ひとりでやってみようと10万円だけを握りしめてカナダへ渡ったのだった。
カレー店が落ち着く夕方、空いた時間をみつけては足を運ぶ場所が、地元で酒を扱う店。慧矢さんは「絆酒」というカナダで製造している日本酒の営業という顔も持ち、販売店を訪ねているのだ。絆酒の拠点があるのが、バンクーバーから内陸部へ5時間、ワインの産地として知られるオカナガン。この地で、2016年に番組でも取材した杜氏の春日井敬明さんが日本酒を造っている。実は将来、「カナダで温泉ビジネスをやりたい」という野望を持つ慧矢さんは、温泉には欠かせない日本酒に着目。そして2年前、春日井さんとオーナーのカンさんがリッチモンドからオカナガンに酒蔵ごと移転して会社を設立したときに、「何でもやります」と名乗りを上げ、仲間入りしたのだった。
いつもカバンに忍ばせ日々確認する“未来予想図”
そんな慧矢さんがいつもカバンに忍ばせているのが、自分の人生設計を書き出した計画書。「30代 軍資金をためる」「40代 大きな事業に打って出る」など、60歳、あわよくば80歳までの人生でやり遂げるべき事柄が並び、日々ファイルを取り出してはちゃんとできているか確認しているという。
そこまでの“未来予想図”を作るきっかけとなったのが、7年前、父・賢一さんから掛かってきた突然の国際電話。末期のすい臓がんで、余命が半年だという連絡だった。慧矢さんが日本に帰国できたのは2か月後で、その6日後、父は59歳で他界。カレー店も孫の顔も見せることは叶わなかった。
父は、慧矢さんが妻・カトリーナさん(30)と結婚するときに、森川家の家系図や仕事、趣味などを20枚ほどの資料にまとめ、彼女の家族にプレゼンするような人だった。そんな父がずっと言っていた言葉が「感謝 感激 感動」。慧矢さんは今もその言葉を強く噛み締めて毎日をおくっているという。
最初は、飲食が未経験だったことや、妻子がいる中でもさまざまなことに挑戦する様子を心配していた母・由美子さんと妹・亜美さん。だが、亡き父の言葉を胸に目標に向かって突き進む慧矢さんの姿を見て涙を浮かべる。また、2人は父との共通点にも気づいたようで、由美子さんは「主人も先々のことを考えてメモをしていく人だったので、そこがよく似ているなと思って…」と明かす。
次々と新しい試みに挑み続ける息子へ、母からの届け物は―
カナダへ渡り11年。次々と新しい試みに挑み続ける息子へ、母からの届け物は1本の古びたカセットテープ。そこには、赤ちゃんの頃の慧矢さんをあやす父の肉声が入っていた。懐かしい声に耳を傾けた慧矢さんは胸に去来するものがあったようで、「もうちょっと家族に時間を使いたいとはっきり思いました」と語る。さらに、「『感謝 感激 感動』ってなかなか言葉で伝えるのは難しかったりするけど、でも心に留めてるだけでは伝わらない部分も多い。これからは自分の言葉でお父さん、お母さん、家族に、『ありがとう、大好きだよ』って伝えていきたいと思います」と決意するのだった。
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