数々の賞を受賞!ytvドキュメント『ママもう泣かんといてな』の担当ディレクターがタイトルに「ママ」を入れた理由

2020.10.28

数々の賞を受賞!ytvドキュメント『ママもう泣かんといてな』の担当ディレクターがタイトルに「ママ」を入れた理由
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目の小児がんで2歳の時に両目を摘出--。

そんな過酷な運命にも負けず、明るく前向きに生きる少年と、その少年を支える家族の姿を捉えたytvドキュメント『ママもう泣かんといてな〜12歳 全盲ドラマーが奏でる‘音の世界’〜』が放送されたのは19年5月のこと。

番組は視聴者からの大きな反響を呼ぶと共に、その後『日本民間放送連盟賞』特別表彰部門の優秀賞や『ニューヨークフェスティバル』ヒューマンドキュメンタリー部門の銅賞を受賞。そして去る8月には『ヒューストン国際映画祭』ドキュメンタリー部門のプラチナ賞にも輝き、作品としても大きな評価を得ることになった。なぜ、ひとつのドキュメンタリーがここまで大きな広がりを見せることになったのか。制作にあたった安部祐真ディレクターに話を聞いた。
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--3つの賞を受賞された感想はいかがですか。

「素直にうれしいです。取材している段階から、これまでにないぐらい自分でも感動していたので、ある程度の反響はいただけるかなと思っていたのですが。全盲というハンディを感じさせない、響希君の前向きな明るさをいちばん伝えたかったので、作品が広がって良かったなと思います」

--受賞について、響希君やご家族は何かおっしゃってましたか?

「基本的にはお母さんとやりとりをしているのですが、すごく明るくて、穏やかな方なので『うれしいです』ぐらいで(笑)。『ヒューストン国際映画祭』の時は『名前からしてすごい賞なのがわかりますね」って言ってましたけど(笑)」

--そもそも響希君やご家族とはどのように出会ったんでしょう。

「もともとは18年に『24時間テレビ』の関西ローカル用のVTRをつくることになりまして、どんな内容にしようか考えていた時に、妻が偶然SNSで見つけて教えてくれたんです。ご両親がやっていたSNSだったと思うんですけど。それが全盲にも関わらず、響希君が自由自在にドラムを叩いている映像で、『ウソや。これ、絶対見えてるやろ!』と」
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--番組で拝見しましたけど、ほんとにビックリしますよね。

「はい、僕もすごく驚いて。ぜひお話を伺いたいとご両親に連絡しました」

--最初はご両親だけだったんですか。

「そうですね。その時はまだ取材するかも決まっていませんでしたし」

--本格的に取材しようと思った決め手は何だったんですか。

「響希君の目の小児がんがわかったのが1歳10か月の時で、主治医の先生に『両目を摘出しないと命がない』と言われてるんですね。それでも、なかなかご両親は手術に踏み切れなかったんです」
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--番組の中でお母さんは「真っ暗闇の中で一生過ごさないといけない。それやったら死なせてあげたほうがいいんじゃないかと思った」と回想されてましたね。

「そうですね。手術をすれば命は助かるのに、『命って何だろう』とか、いろいろ考えてしまって。それが、きちんと取材をしたいと思ったきっかけです。それで、まずは24時間テレビ用に15分強のVTRにして。その反響が大きかったので、次に全国ネット用の30分のドキュメンタリー番組に。それがさらに反響をいただいて、1時間にして19年の5月に放送しました」

--最初は1本の短いVTRだったのに、どんどん大きくなっていったんですね。それは響希君の明るいキャラクターもすごく大きかったと思うんですが、実際にはどんなお子さんなんですか。

「いや、ほんとにめちゃくちゃ明るいです。“小学生の子ども”って聞くと、一般的にイメージする子ども像ってあると思うんですが、たぶんそれよりも明るくて、前向きで、元気だと思います。取材中もずっとふざけてお母さんとじゃれあったり、スマホで音楽を聴きながら鼻歌を歌ってたり。テレビゲームも大好きで、お姉さんや妹さんといつもやってるんですけど、勝つまでやめないですね(笑)」
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--約1年にわたる取材だったそうですが、いちばん印象に残っていることは?

「本編中にも入れましたが、響希君の『目が見えないのもいいものだよ』という言葉です。取材中にも『僕はそれで悲しい思いもしたことがないし』と普通に何度も言っていて。あとは、Def Techさんのライブで言っていた『僕は僕に生まれてきて良かった』という言葉も。何度見ても泣いてしまうぐらいです」

--Def Techさんのライブにドラマーとして参加して、お客さんにあいさつをする場面ですよね。とても12歳とは思えない堂々とした話しっぷりで、すごく驚きました。

「僕は楽屋裏で取材していて、『もしかしたらDef Techさんから響希君にあいさつしてよって振りがあるかもよ』ぐらいの感じだったんですが、まさかあんなにしっかり喋れるとは思わなくて。ビックリしました」

--あ、あれ、事前に準備していた言葉じゃないんですね。それはすごい! ライブ出演はDef Techさんと響希君の4年越しの約束だったそうですが、どういう経緯だったんでしょう。

「ご両親の知人がDef Techさんと仲が良かったみたいで、そんな縁もあってご両親が響希君をライブに連れて行ったんです。それでライブ後に対面した時に、ちょうど響希君がドラムを始めたばかりの頃だったので、『いつか共演しよう』とDef Techのお二人が言ってくれて。その言葉は、それまで目標のなかった響希君の大きな夢になったみたいですね」

--響希君がドラムに興味を持ったきっかけのひとつは、偶然手にしたマドラーですよね。

「そうですね」

--で、そのマドラーで家中のあらゆるものを叩いていったと。目が見える人は自分のいる世界を視覚中心で捉えていきますけど、響希君はこういう方法で世界を捉えていったのかと、すごく感心しました。

「まさにそうですね。響希君にとって音はすごく重要なものなので、家中のものが傷だらけでした。取材中カメラマンとも話したんですけど、木漏れ日や潮風、花火といったものを僕らは見て感じますけど、響希君はそれを音と匂いで感じていくんですね。その時の表情がすごくいいんですけど、なんだか切なくもありました」

--家のベランダから見える花火大会の花火を、お母さんが響希君に説明するシーンがありますよね。一度も見たことがない人に花火がどんなものか説明するってすごく難しいし、もどかしいんだなと思いましたが、あれが響希君の日常なんでしょうね。

「僕らにとっては当たり前のことが、決して当たり前じゃないんですよね」

--ドキュメンタリーとは言え、放送時間という制限があり、編集がある以上、つくり手の主観が入るのは当然だと思うんですが、番組をどういうトーンにするかは、ずいぶん悩まれたんじゃないですか。

「それは日々悩むところでしたね。結局、番組は響希君の『目が見えないのもいいものだよ』という明るい、前向きな言葉で締めたんですが、これから響希君がプロのドラマーとして成功するかもわからないのが現実ですし、まだまだ前途多難だという締め方もあって、周囲からも実際、ドキュメンタリー番組としてはそっちのほうが正解だったんじゃないかという声もいただいたんです」

--あぁ、そうなんですね。

「ただ、実際に会ってみて、響希君もご家族もすごく明るくて前向きな人たちなので、僕としては、それをできるだけストレートに伝えたほうがいいだろうと。ですから、その印象からズレていないかというのは常に意識しながら番組にしていきました。今思うと、だからタイトルに『ママ』を入れたのかなと思いますね。ただの全盲の男の子の物語にはしたくなかったんです」
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--取材を通して、目の不自由な方に対する社会的な問題点なども感じましたか。

「響希君が中学生になって、電車通学を始めたんですね。それも1日だけ密着させてもらったんですが、やっぱり駅のホームを歩いて、満員電車に乗って、学校へ着く頃にはもうヘトヘトなんです。そういう部分はもっと改善できないのかなと思います」

--これ、またいつか続きが見られるんでしょうか。

「どうでしょうね。当然ですけど、まだ響希君の人生にはこれからいろいろなことがあると思うんです。もしかしたらそんな時に、また取材させていただく機会があるかもしれないですね」

【取材・文 井出尚志】
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