【グッと!地球便】アメリカ ソフトテニスのプロ選手からピックルボールに転向 日本人で唯一全米プロツアーに参戦する息子へ届ける両親の想い
2024.07.16
今回の配達先は、アメリカ。ここでピックルボール選手として奮闘する船水雄太さん(30)へ、青森県で暮らす父・宏二さん(63)、母・加奈子さん(51)、弟・颯人さん(27)が届けたおもいとは―。
全米で大ブームのピックルボールの世界へ飛び込み、メジャーを目指す
アメリカで1965年に生まれたピックルボールは、バドミントン・テニス・卓球の要素を合わせたラケットスポーツ。パドルというラケットを使い、穴の開いた硬いボールを打ち合う。コートはバドミントンと同じ大きさで、ルールはほぼテニスと同じ。今、全米で大ブームとなっていて、2021年に創設されたMLP(メジャーリーグピックルボール)では24チームがしのぎを削っている。雄太さんは現在、日本人として唯一全米プロツアーに参戦。ただ最高峰であり、目標とするメジャーリーグの選手になるには、年1回開催されるドラフトに掛かりたいところだが、まだまだ道のりは遠いという。
そんな雄太さんの家族はソフトテニス一家で、父・宏二さんは高校の指導者、母・加奈子さんも経験者。そして弟の颯人さんは2019年にソフトテニスで初めてプロになった選手で、雄太さんも弟に続いて2020年にプロ選手となった。そのため、宏二さんは雄太さんがピックルボールに転向したときは、「ようやくソフトテニスで生活できるようになったのに、何ていうことをするんだ」と驚いたという。「果たしてアメリカで通用するのか」と宏二さん。加奈子さんと颯人さんも生活や言葉の壁を気に掛けている。
今回、プロツアーが行われるのはオハイオ州シンシナティ。ピックルボールはダブルスが主流で、ミックスダブルスに出場する雄太さんは競技歴4年のデイナ選手とコンビを組む。キャリアでも実績でも雄太さんに勝る、頼もしいパートナーだ。
プロツアーで全米を転々とする雄太さんはホテル暮らしで、賞金も獲得していない。今後勝たなければ、コストの高いアメリカではプレーを続けられない可能性がある。だから、この1年が勝負だと考えているという。翌日から始まる予選を通過できるのは、58組のうち半分以下。1試合1試合、絶対に負けられない戦いが待っている。
子どもの頃から全身全霊を捧げてきたソフトテニスだったが…
物心ついたときにはソフトテニスのラケットを握っていた雄太さんは、高校・大学で日本一になり、世界選手権でも優勝。さらに強豪の実業団チームに入り、日本リーグ7連覇に貢献。プロ転向後はトッププレイヤーとして日本のソフトテニス界を牽引してきた。しかし昨年、大きな出来事が。アジアの大きな大会でソフトテニスの日本代表が金メダルを4つも獲得し大活躍したにもかかわらず、ほとんどニュースでとりあげられなかったのだ。全身全霊を捧げてきた競技の現状に、とてつもないやりきれなさを抱いた雄太さん。そんな頃に出会ったのがピックルボールで、今年1月、さまざまな想いを胸に挑戦を表明し、単身アメリカへ渡ったのだった。
ピックルボールのプレーヤーたちは1試合やって勝てなければパートナーをすぐに切ってしまう。再び相手を探すのも大変で、まだ実績がない雄太さんは今のパートナーに実力を認めさせるためにも必ず予選を突破しなければならない。こうして大会が始まると、1回戦はデイナ選手とのコンビネーションが冴えわたり圧勝。続く2回戦、勝てば本選出場となるが、激しいラリーの応酬で点の取り合いになる。そんな中、デイナ選手のスーパーショットが決まり、ついに雄太さんらはマッチポイントを迎えるも、相手も譲らずデュースに。果たして負けられない勝負の行方は…。
ピックルボールという新たな世界で孤独な闘いを続ける息子へ、両親からの届け物は―
ソフトテニスを極めながらも新たな世界へ飛び出し、孤独な闘いを続ける息子へ、両親からの届け物はソフトテニス日本代表のユニフォーム。元日本代表の篠原秀典さんが着用していたもので、15歳の時に譲り受け、自身が世界を目指すきっかけとなった一着だった。原点にかえる届け物に大喜びした雄太さんだったが、両親からの励ましの手紙を読みはじめると頬に涙がつたう。「アメリカに来て涙するってことは、だいぶ僕も苦労してるんだなって…」と苦笑いする雄太さん。そして、「この挑戦が、自分だけでなく家族も期待してくれているなっていうのを改めて感じました。これも力に変えて、さらに今の壁を破っていかなきゃいけないなと思います」と力強く語り、前を向くのだった。
全米で大ブームのピックルボールの世界へ飛び込み、メジャーを目指す
アメリカで1965年に生まれたピックルボールは、バドミントン・テニス・卓球の要素を合わせたラケットスポーツ。パドルというラケットを使い、穴の開いた硬いボールを打ち合う。コートはバドミントンと同じ大きさで、ルールはほぼテニスと同じ。今、全米で大ブームとなっていて、2021年に創設されたMLP(メジャーリーグピックルボール)では24チームがしのぎを削っている。雄太さんは現在、日本人として唯一全米プロツアーに参戦。ただ最高峰であり、目標とするメジャーリーグの選手になるには、年1回開催されるドラフトに掛かりたいところだが、まだまだ道のりは遠いという。
そんな雄太さんの家族はソフトテニス一家で、父・宏二さんは高校の指導者、母・加奈子さんも経験者。そして弟の颯人さんは2019年にソフトテニスで初めてプロになった選手で、雄太さんも弟に続いて2020年にプロ選手となった。そのため、宏二さんは雄太さんがピックルボールに転向したときは、「ようやくソフトテニスで生活できるようになったのに、何ていうことをするんだ」と驚いたという。「果たしてアメリカで通用するのか」と宏二さん。加奈子さんと颯人さんも生活や言葉の壁を気に掛けている。
今回、プロツアーが行われるのはオハイオ州シンシナティ。ピックルボールはダブルスが主流で、ミックスダブルスに出場する雄太さんは競技歴4年のデイナ選手とコンビを組む。キャリアでも実績でも雄太さんに勝る、頼もしいパートナーだ。
プロツアーで全米を転々とする雄太さんはホテル暮らしで、賞金も獲得していない。今後勝たなければ、コストの高いアメリカではプレーを続けられない可能性がある。だから、この1年が勝負だと考えているという。翌日から始まる予選を通過できるのは、58組のうち半分以下。1試合1試合、絶対に負けられない戦いが待っている。
子どもの頃から全身全霊を捧げてきたソフトテニスだったが…
物心ついたときにはソフトテニスのラケットを握っていた雄太さんは、高校・大学で日本一になり、世界選手権でも優勝。さらに強豪の実業団チームに入り、日本リーグ7連覇に貢献。プロ転向後はトッププレイヤーとして日本のソフトテニス界を牽引してきた。しかし昨年、大きな出来事が。アジアの大きな大会でソフトテニスの日本代表が金メダルを4つも獲得し大活躍したにもかかわらず、ほとんどニュースでとりあげられなかったのだ。全身全霊を捧げてきた競技の現状に、とてつもないやりきれなさを抱いた雄太さん。そんな頃に出会ったのがピックルボールで、今年1月、さまざまな想いを胸に挑戦を表明し、単身アメリカへ渡ったのだった。
ピックルボールのプレーヤーたちは1試合やって勝てなければパートナーをすぐに切ってしまう。再び相手を探すのも大変で、まだ実績がない雄太さんは今のパートナーに実力を認めさせるためにも必ず予選を突破しなければならない。こうして大会が始まると、1回戦はデイナ選手とのコンビネーションが冴えわたり圧勝。続く2回戦、勝てば本選出場となるが、激しいラリーの応酬で点の取り合いになる。そんな中、デイナ選手のスーパーショットが決まり、ついに雄太さんらはマッチポイントを迎えるも、相手も譲らずデュースに。果たして負けられない勝負の行方は…。
ピックルボールという新たな世界で孤独な闘いを続ける息子へ、両親からの届け物は―
ソフトテニスを極めながらも新たな世界へ飛び出し、孤独な闘いを続ける息子へ、両親からの届け物はソフトテニス日本代表のユニフォーム。元日本代表の篠原秀典さんが着用していたもので、15歳の時に譲り受け、自身が世界を目指すきっかけとなった一着だった。原点にかえる届け物に大喜びした雄太さんだったが、両親からの励ましの手紙を読みはじめると頬に涙がつたう。「アメリカに来て涙するってことは、だいぶ僕も苦労してるんだなって…」と苦笑いする雄太さん。そして、「この挑戦が、自分だけでなく家族も期待してくれているなっていうのを改めて感じました。これも力に変えて、さらに今の壁を破っていかなきゃいけないなと思います」と力強く語り、前を向くのだった。
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