【グッと!地球便】台湾の民族文化を伝え残そうと奮闘するフォトグラファーの息子へ届ける母の想い

今回の配達先は、台湾。ここでフォトグラファー・旅行作家として奮闘する小林賢伍さん(35)へ、東京都で暮らす母・博美さん(64)が届けたおもいとは―。

「台湾を世界に知ってもらう一端を担いたい」と現地に赴き発信

賢伍さんはこれまでに台湾で6冊の本を出版。風景をメインに、賢伍さんならではの感性で切り取った台湾を紹介している。

ある日は次に出す本の撮影で、台北から南へ330キロにある南台湾の阿里山にやってきた。台湾の人々の9割は漢民族だが、人口全体の2%、約56万人が先住民族で、台湾全土に16の民族が暮らしている。今回はそのひとつ、大自然が広がる阿里山一帯を生活圏とするツォウ族を取材するという。
「台湾を世界に知ってもらう一端を担いたい」との想いを持つ賢伍さん。来年出版予定の本では、風景が中心だったこれまでと違い、台湾で暮らす人の人生を通して台湾を紹介するという新たな形に挑むそうで、ツォウ族の男性を撮影したあと、彼らからじっくりと話を聞いていた賢伍さんは、「実はこれが一番作りたかったテーマ。やっとスタート地点に立てたという感じです」と意気込む。

感謝の気持ちがきっかけで、存在すら知らなかった台湾へ

2016年、賢伍さんはワーキングホリデーで台湾へ渡り、趣味のカメラで風景を撮ってSNSにアップしていた。あるとき、たまたま訪れた台湾北東部にある緑一面の山を「抹茶山」と名付けてSNSに上げると、「ネーミングが面白い」と話題に。これを機に、「台湾人が知らない台湾の秘境の景色を撮り続ける日本人」として名前が知れ渡り、広告のイメージキャラクターや、テレビの出演者としての仕事も舞い込むようになった。

そもそも台湾に関心を抱いた出来事が、2011年の東日本大震災。実はそれまで台湾の存在すら知らなかったが、人々から200億円もの義援金が届いたとのニュースに興味を持ち、家庭教師や日本語講師として教壇に立つ母・博美さんから国の歴史や情勢を教えてもらったという。そして大学卒業後、東京スカイツリーのインフォメーションに就職すると、台湾から来たお客さんに中国語で「東日本大震災の時にご支援をいただいたことをとても温かく感じています。僕は台湾を愛しています」と書いたメモを見せて、感謝の気持ちを伝えるように。中には涙を流す人もいたそうで、ここから連絡先を交換するなど、台湾と繋がりが生まれていったのだった。
さらに大きな出会いとなったのが、現地の友人に誘われて行った花蓮市の「太平洋南島総合豊年節」という祭り。6つの民族が集まり、歌や踊りを披露する盛大なイベントを通して初めて先住民族のことを知り、また新たな輪が広がっていったという。

この祭りから繋がったパイワン族の友人を訪ねて向かったのは、台東県にある大鳥村。本の執筆とならびライフワークにしているのが彼らの記録写真で、今回は観光客がほとんど来ることがない祭りや伝統儀式を撮りにきたのだ。
またあるときは、阿里山にある人口1000人ほどの達邦(ダーパン)村へ。7年前に知り合った同世代の男性は、ツォウ族の歴史や伝統を絶やすまいと立ち上がった村の若者。彼の想いに感銘を受けた賢伍さんは伝統文化を写真で記録するようになり、今では親友になった。

こうしてさまざまな民族や文化と触れ合う賢伍さん。最初は「ちゃんと生活しているのか、みなさまにご迷惑をかけていないか、時間を守っているのか…」と心配していた母・博美さんだが、現地での息子の活動を見て、「みなさんに受け入れていただいてありがたいなと思いました」と安心する。

今ではたくさんの仲間ができた息子へ、母からの届け物は―

台湾で古くから暮らす人々と固い絆で結ばれ、今ではたくさんの仲間ができた息子へ、母からの届け物はかつて賢伍さんが日本で台湾の人たちに見せていた感謝のメモを刺繍に起こしたもの。その刺繍が母の手によって1冊のノートに貼り付けられていた。添えられた手紙には「一つのメモから繋がった糸がたくさんの出会いを導いてくれました。まだまだ道なかば。ノートは何冊あっても足りないでしょう。『あの頃の気持ちを忘れないで』の願いを込めて刺繍にしました」と理由が綴られていた。手紙を読むなり突っ伏し、しばらく黙り込む賢伍さん。そして流れる涙をぬぐうと、「今まで会った人たちみんなに感謝したいです。それ以外の言葉はないです」と込み上げる想いを伝えるのだった。