【グッと!地球便】フィリピン・セブ島 少年時代の夢を叶え、65歳で天体観測所を作った父へ届ける家族の想い

今回の配達先は、フィリピンのセブ島。天体観測家の阿久津富夫さん(69)へ、日本で暮らす三男・信広さん(38)が届けたおもいとは―。


65歳で天体観測所を計画 ラーメンの寸胴鍋で巨大望遠鏡を手作り

アジア屈指のリゾート地でありながらオフィスや大学が多く集まる、フィリピン第二の都市があるセブ島。富夫さんの拠点「阿久津セブ天体観測所」があるのは、そんな島の都心部から山間部へ車で1時間、ボバン山の山頂付近。標高500メートルの場所に、個人で天体観測所を手作りした。
購入した当初はジャングルのようだった山の斜面を、現地の人を雇い手作業で開拓。65歳で計画した夢の施設を、2年掛かりで完成さ せたという。フィリピンでは初の天体観測施設だそうで、自ら設計した開閉式の屋根がある観測所には大きな天体望遠鏡が2台。正規 で購入すると5000万円近くするという望遠鏡は、富夫さんがラーメンの寸胴鍋を使って手作りしたものだ。
施設は一般開放しているものの、元々現地の人には星にお金を払うという感覚がないそうで、最初は客がまったく来なかったという。そこで観測所の横にレストランを併設。星空と食事をセットにしたことで、徐々に客足は増加している。

レストランでは現地のワーカーたちが働き、敷地内の農園で食材を調達したり、客に提供するフィリピン料理を作っている。一方、富夫さんは観測所がオープンする夕方までは、前日に撮影した星の画像を朝からひたすら処理。木星や土星をメインに、天体を40年間毎日撮影しているそうで、「あくまでも自己満足」と言いながらも、それらはアマチュアとは思えない膨大な資料となっている。

星に興味を持ったのは小学生の頃。兄のお下がりの望遠鏡では飽き足らず、中学・高校では天文クラブに入り、青春時代は毎晩欠かさず星を撮影していたという。大学卒業後は、「澄んだ空で星が見たい」と地元茨城で就職し、実家の畑に観測小屋を作った。結婚後は、大学の天体サークルで知り合った妻の実家の会社に転職。仕事が終わると自宅の観測所に籠もるという日々をおくった。その後、再び転職するとすぐにセブ島へ転勤に。そこで職場の屋上に望遠鏡を持ち込んでみると、気流が安定しているセブの上空では天体が引き締まって見えることに気付き、すっかり心を奪われてしまう。
こうして気づけば、滞在10年。この頃には定年後の移住を考えるようになっていた。退職金だけでは土地しか買えなかったが、三男・信広さんが音頭をとってクラウドファウンディングを開始。390万円が集まり、望遠鏡の運搬費と施設の建設費の一部を賄うことができたのだった。



中学からの天体仲間で一番の理解者だった親友とのある約束

実は富夫さんには、親友とのある約束があった。中学からの天体仲間で一番の理解者でもあった石井晋太郎さんとともに、セブで星を見ようと決めていたのだ。しかし、石井さんは4年前に病気で他界。当時、石井さんから「どうしてもこの観測所は作り上げろ」と背中を押され、富夫さんは天体観測所を完成させたのだった。そして石井さんとは「2035年の皆既日食は一緒に見よう」という約束も。富夫さんは、「2035年までは、彼の分も生き抜く。これはやりとげますよ、絶対」と心に誓っている。

そんな観測所での父を見た息子の信広さんは、「自分の王国じゃないですけど、自分なりに考えて作っているのが、おやじらしいし、いいなと思います」とうれしそうな表情に。また、親友との約束が観測所設立の原動力となったことについては、「父にとっては悔いを残すところでもあったけど、石井さんからの想いっていうのはつながっているのかなと思います」と語る。



65歳から新たな人生に踏み出した富夫さんへ、家族からの届け物は―

現在は敷地内の最も高い場所にテラスを建築中の富夫さん。自ら工事に加わりながら「小マゼラン、大マゼラン、南十字星、エタカリーナなどが大変よく見えます。日本人もフィリピン人も、きっといい笑顔が見れると思いますよ」と完成を楽しみにする。

天体に全てを捧げて半世紀。65歳から新たな人生に踏み出し、夢は叶うことを体現し続ける富夫さんへ、日本の家族からの届け物は93歳になる富夫さんの母・和江さん手作りのカレー。幼い頃から夜空で冷えた体をいつも温めてくれた大好物だ。届け物の中には、母と一緒に写る子どもの頃の古い写真も。それをじっと見つめた富夫さんは「まだまだ修業が足りないな…多分一生修業なんだろうなあ…」と涙でつぶやくのだった。