落選した元国会議員が吠える、我々の負けはここが原因!そこに見える、日本の課題とは?!
2021.12.10
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勝てば官軍、戦いで勝った者が正義となるというが、負けた側にも言い分はあり、彼らの正義はある。あえて落選した国会議員だからこそ、見えてくるものはあるはずだ。そこで12月5日放送の「そこまで言って委員会NP」では「元国会議員大集合、今だから言えることSP」と題して、先日の衆議院選挙で負けた3人の議員に番組論客たちが質問を浴びせた。
まず自民党元幹事長の石原伸晃氏に馬場ももこ氏が「落選してお父様は何と言っていらしたか」と質問。石原氏は意外に陽気に「頑張れよ、俺はいつ死ぬんだ?と聞くので、いつ死ぬのかと10年間言ってるよ、と返した」と答える。落選したものの内閣官房参与に決まった。落選時の苦渋の表情は消え、どこかしら清々しさも伺える。
須田慎一郎氏は、大阪で敗れた、元防衛副大臣で自民党の中山泰秀氏にこう聞いた。
「維新は嫌いですか?」
この問いに対し中山氏は「自民党を裏切った奴は嫌いです。」と強く回答。「私は大阪で親子三代自民党。選挙で不利だろうがなんだろうがずっと自民党に残ってる。みんな新進党や民主党に行ったが、コロコロ変わるカメレオンみたいな政治家はいらない。」ときっぱり。
さらに豊田真由子氏が「大阪の自民党はこの先どう挽回するか?」と聞いた。
中山氏はここぞとばかりに語る。
「自民党には東京も名古屋も大阪も関係ない。それより都市部での自民党は、この先どうやって挽回するのか。負けてるのは全部都市部。問題は、自民党がどんどん田舎の政党になってきたこと。都市型戦略がまったくできてない。そこへフォーカスしたのが維新で、政令市20都市中心に戦略を練って立てている。今人口減少でどんどん都市部に議席が増えて、鳥取とか島根とか、今では自分の元いた派閥には参議院議員が一人もいない。」
そして大阪の重要性も強調する。
「徳川家康は、大阪を天領にしていた。大阪は商売が長けてるし鉄砲も作れた。いろんなものが集積してるから、ここに藩を置くと江戸をひっくり返すと考えたから。自民党が賢ければ家康の知恵に倣って、大阪に天領直轄地を設けなきゃいけない。たとえば自民党代表は東京で出る、ならば幹事長は大阪で出てくるとか。そうやって都市戦略を立てるべき。小選挙区制度を、中選挙区時代の名残でやってるから、日本の政治はいびつになった。今回の選挙は地方の延長でやってる。」非常に説得力がある。
やはり落選した立憲民主党の亀井亜紀子前議員にまず竹田恒泰氏が「親戚ですね」という質問。祖父と祖母がいとこにあたり、共に北白川宮能久親王の玄孫にあたるという。
という小ネタを挟んで、亀井氏には中田宏氏が野党共闘について質問。
「都市部の場合は自公政権に対する批判票が行く可能性は高いが、島根で戦った亀井氏にとっては、野党共闘すべきではなかったのでは?」
この問いに対し亀井氏は淡々と答える。
「まず、選挙で共産と組んだという感覚が自分にはなかった。有権者からはそう見えたのかもしれない。だが前回の勝った選挙と今回負けた選挙との、その違いはいったい何だろう、選挙そのものは何も前回と変わってないのに。」
なるほど、元々共産党候補が無かった選挙区では、共闘の恩恵は感じ難かったのかもしれない。
中田氏はさらにつっこむ。
「衆議院選挙は政権選択だから、亀井さんがどんなに個人として頑張っても、政権選択では、共産党が加わるとなると、やっぱり亀井さんに入れられないとなってしまう。」
亀井氏は率直に答える。「それはあったと思う。後からいろんな方にお会いして、抵抗の返事はかなりあった。」
石川和夫氏が切り口を変える。
「共産党と組んだ理由は?と聞く人もいたと思う。何と答えたのか。」
「組んではいませんと。別に連立を組むわけではないし、天皇制にしても自衛隊に対する考え方も全然違うので政権運営は難しかったと思う。それははっきり皆さんにはお話したが、それでも一緒にやるイメージが強かったのだろうと、特に選挙が終わってから感じている。」
野党共闘がマイナスに働いたと実際に選挙で感じた立憲民主議員の声だった。
今回の選挙は、既存の枠組みと捉え方を変える必要があると感じた有権者も多いだろう。番組ではさらに深掘りした議論が進んでいった。
【文:境 治】
まず自民党元幹事長の石原伸晃氏に馬場ももこ氏が「落選してお父様は何と言っていらしたか」と質問。石原氏は意外に陽気に「頑張れよ、俺はいつ死ぬんだ?と聞くので、いつ死ぬのかと10年間言ってるよ、と返した」と答える。落選したものの内閣官房参与に決まった。落選時の苦渋の表情は消え、どこかしら清々しさも伺える。
須田慎一郎氏は、大阪で敗れた、元防衛副大臣で自民党の中山泰秀氏にこう聞いた。
「維新は嫌いですか?」
この問いに対し中山氏は「自民党を裏切った奴は嫌いです。」と強く回答。「私は大阪で親子三代自民党。選挙で不利だろうがなんだろうがずっと自民党に残ってる。みんな新進党や民主党に行ったが、コロコロ変わるカメレオンみたいな政治家はいらない。」ときっぱり。
さらに豊田真由子氏が「大阪の自民党はこの先どう挽回するか?」と聞いた。
中山氏はここぞとばかりに語る。
「自民党には東京も名古屋も大阪も関係ない。それより都市部での自民党は、この先どうやって挽回するのか。負けてるのは全部都市部。問題は、自民党がどんどん田舎の政党になってきたこと。都市型戦略がまったくできてない。そこへフォーカスしたのが維新で、政令市20都市中心に戦略を練って立てている。今人口減少でどんどん都市部に議席が増えて、鳥取とか島根とか、今では自分の元いた派閥には参議院議員が一人もいない。」
そして大阪の重要性も強調する。
「徳川家康は、大阪を天領にしていた。大阪は商売が長けてるし鉄砲も作れた。いろんなものが集積してるから、ここに藩を置くと江戸をひっくり返すと考えたから。自民党が賢ければ家康の知恵に倣って、大阪に天領直轄地を設けなきゃいけない。たとえば自民党代表は東京で出る、ならば幹事長は大阪で出てくるとか。そうやって都市戦略を立てるべき。小選挙区制度を、中選挙区時代の名残でやってるから、日本の政治はいびつになった。今回の選挙は地方の延長でやってる。」非常に説得力がある。
やはり落選した立憲民主党の亀井亜紀子前議員にまず竹田恒泰氏が「親戚ですね」という質問。祖父と祖母がいとこにあたり、共に北白川宮能久親王の玄孫にあたるという。
という小ネタを挟んで、亀井氏には中田宏氏が野党共闘について質問。
「都市部の場合は自公政権に対する批判票が行く可能性は高いが、島根で戦った亀井氏にとっては、野党共闘すべきではなかったのでは?」
この問いに対し亀井氏は淡々と答える。
「まず、選挙で共産と組んだという感覚が自分にはなかった。有権者からはそう見えたのかもしれない。だが前回の勝った選挙と今回負けた選挙との、その違いはいったい何だろう、選挙そのものは何も前回と変わってないのに。」
なるほど、元々共産党候補が無かった選挙区では、共闘の恩恵は感じ難かったのかもしれない。
中田氏はさらにつっこむ。
「衆議院選挙は政権選択だから、亀井さんがどんなに個人として頑張っても、政権選択では、共産党が加わるとなると、やっぱり亀井さんに入れられないとなってしまう。」
亀井氏は率直に答える。「それはあったと思う。後からいろんな方にお会いして、抵抗の返事はかなりあった。」
石川和夫氏が切り口を変える。
「共産党と組んだ理由は?と聞く人もいたと思う。何と答えたのか。」
「組んではいませんと。別に連立を組むわけではないし、天皇制にしても自衛隊に対する考え方も全然違うので政権運営は難しかったと思う。それははっきり皆さんにはお話したが、それでも一緒にやるイメージが強かったのだろうと、特に選挙が終わってから感じている。」
野党共闘がマイナスに働いたと実際に選挙で感じた立憲民主議員の声だった。
今回の選挙は、既存の枠組みと捉え方を変える必要があると感じた有権者も多いだろう。番組ではさらに深掘りした議論が進んでいった。
【文:境 治】
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