夫婦茶碗は許せない!津田梅子の業績を語る田嶋陽子がますます熱い
2022.02.24
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2024年に発行される新紙幣。一万円札には渋沢栄一、五千円札には津田梅子、千円札には北里柴三郎の肖像画が描かれる。2月20日放送の「そこまで言って委員会NP」ではこの三人をクローズアップ。津田梅子については田嶋陽子氏がゲストとして前に出て、論客たちと「津田梅子最大の業績」を議論した。何しろ津田塾大学出身で津田梅子に啓発されて女性学者となった田嶋氏だから、いつにも増して勇ましく熱い語り口だった。
まず山口真由氏が語る。「津田梅子の一番尊敬するところは、独身で通したこと。当時は良妻賢母教育が基本で、女性は妻か母。つまり男性との関係によって自分の存在が決まった。彼女は人生を通して自分は妻でも母でもなく1人の人間であることを貫き通した。」
田嶋氏が答える。「その通り。彼女は自分のことだけじゃなくて、それを他の女性にもできるようにした。非常に義務感の強い人で、政府のお金で勉強させてもらったのだから、どうしても女子教育のために頑張りたいと考えた。」
津田梅子の人生をさらに語る。「伊藤博文と出会って、その奥さんと娘さんに英語を教えるために、住み込んだ。伊藤博文を政治家として尊敬したが、彼の女性関係が酷かった。梅子が見た日本の女性は2種類しかなくて、一つは芸妓さん。あとは奥さん、つまり子供を産ませる相手。梅子は芸妓が魅力がある、自分で稼いでるから言いたいことが言えると感じた。でもその芸妓も奥さんになると、奥に入って外に出てこない。そういうのを見て、彼女は伊藤家を去る決断をした。」小説を読んでるようで惹き込まれた。
「それでもう一度アメリカに行って、大学教育を受けて帰ってきて、ちゃんとした高等教育ができるものを作ろうと決心をする。」聞いてるだけで感動してしまう。
宮家邦彦氏も興奮気味に語る。「津田梅子は6歳から11年経って帰ったら、ほとんど日本語は忘れていただろう。完全にアメリカ人の感覚で帰ってきて、日本を見てショックを受けたはず。彼女がすごいと思うのは日本婦人米国奨学金制度を作ったこと。その高尚さと行動力はすごい。」
田嶋氏が続ける。「留学が終わっても一年残り、全米で講演し支援者を募って8000ドルのお金を作った。その利子で彼女を育てたブリンマー大学に4年に1人の日本女性が留学できる制度を作った。」
竹中平蔵氏も話に加わる。「彼女は本当のパイオニア。岩倉使節団は日本の近代化のパイオニアで、人的交流のパイオニア。彼女はさらに女性教育のパイオニア。ところが考えてみたら、男女雇用機会均等法ができたのは1985年。津田梅子がアメリカに行ってからようやく120年後にできた。真のパイオニアだと思う。」
古舘伊知郎氏も参加する。「ずいぶん前に田嶋さんにトーク番組に出てもらった時、根本的には何が問題かと聞いたら、ものすごい大きい声で夫婦茶碗のサイズが違うのが許せない!と言うので驚いた。でも年月が過ぎて、意外なところに問題があるとわかってきた。」
それを受けて田嶋氏が「差別とは構造。だから一ついじってもどうにもならない。だけど夫婦茶碗にまで差別の影響は来ているということ。」
古舘氏は「その時納得いかなかったけど今ものすごく納得できている。やっぱり時間はかかる。」と言うのを田嶋氏は嬉しそうに受け止めた。
番組議長・黒木千晶アナが「最後に2024年、お札が発行されるときに、田島先生は日本のジェンダー問題はどう変わってると思いますか。」と質問。
田嶋氏はこう言った。「差別というのはどこにでも染み込んでいる。それを変えるには法律を変える、いろんな規則を変える、男と女の行動を変える、男女でくくらない。とにかくやることはごまんとある。世界で(ジェンダーギャップ指数が)120位だよ、恥ずかしいと思え。」田嶋節を炸裂させる。
倉田真由美氏が「この番組は頑張ってますよね。メイン司会が女性で。」と言うのだが田嶋氏は「そんなことない、メイン司会がどういう人かが問題だ。」と丸く収める気がなさそう。黒木アナが「ジェンダー平等の時代に頑張りますのでよろしくお願いしますね」と言うと「よろしくお願いします。」とさすがににこやかに答えた。
津田梅子の人生に心を打たれたが、その志を継いで頑張ってきた田嶋氏にもあらためて感動してしまった。
【文:境 治】
まず山口真由氏が語る。「津田梅子の一番尊敬するところは、独身で通したこと。当時は良妻賢母教育が基本で、女性は妻か母。つまり男性との関係によって自分の存在が決まった。彼女は人生を通して自分は妻でも母でもなく1人の人間であることを貫き通した。」
田嶋氏が答える。「その通り。彼女は自分のことだけじゃなくて、それを他の女性にもできるようにした。非常に義務感の強い人で、政府のお金で勉強させてもらったのだから、どうしても女子教育のために頑張りたいと考えた。」
津田梅子の人生をさらに語る。「伊藤博文と出会って、その奥さんと娘さんに英語を教えるために、住み込んだ。伊藤博文を政治家として尊敬したが、彼の女性関係が酷かった。梅子が見た日本の女性は2種類しかなくて、一つは芸妓さん。あとは奥さん、つまり子供を産ませる相手。梅子は芸妓が魅力がある、自分で稼いでるから言いたいことが言えると感じた。でもその芸妓も奥さんになると、奥に入って外に出てこない。そういうのを見て、彼女は伊藤家を去る決断をした。」小説を読んでるようで惹き込まれた。
「それでもう一度アメリカに行って、大学教育を受けて帰ってきて、ちゃんとした高等教育ができるものを作ろうと決心をする。」聞いてるだけで感動してしまう。
宮家邦彦氏も興奮気味に語る。「津田梅子は6歳から11年経って帰ったら、ほとんど日本語は忘れていただろう。完全にアメリカ人の感覚で帰ってきて、日本を見てショックを受けたはず。彼女がすごいと思うのは日本婦人米国奨学金制度を作ったこと。その高尚さと行動力はすごい。」
田嶋氏が続ける。「留学が終わっても一年残り、全米で講演し支援者を募って8000ドルのお金を作った。その利子で彼女を育てたブリンマー大学に4年に1人の日本女性が留学できる制度を作った。」
竹中平蔵氏も話に加わる。「彼女は本当のパイオニア。岩倉使節団は日本の近代化のパイオニアで、人的交流のパイオニア。彼女はさらに女性教育のパイオニア。ところが考えてみたら、男女雇用機会均等法ができたのは1985年。津田梅子がアメリカに行ってからようやく120年後にできた。真のパイオニアだと思う。」
古舘伊知郎氏も参加する。「ずいぶん前に田嶋さんにトーク番組に出てもらった時、根本的には何が問題かと聞いたら、ものすごい大きい声で夫婦茶碗のサイズが違うのが許せない!と言うので驚いた。でも年月が過ぎて、意外なところに問題があるとわかってきた。」
それを受けて田嶋氏が「差別とは構造。だから一ついじってもどうにもならない。だけど夫婦茶碗にまで差別の影響は来ているということ。」
古舘氏は「その時納得いかなかったけど今ものすごく納得できている。やっぱり時間はかかる。」と言うのを田嶋氏は嬉しそうに受け止めた。
番組議長・黒木千晶アナが「最後に2024年、お札が発行されるときに、田島先生は日本のジェンダー問題はどう変わってると思いますか。」と質問。
田嶋氏はこう言った。「差別というのはどこにでも染み込んでいる。それを変えるには法律を変える、いろんな規則を変える、男と女の行動を変える、男女でくくらない。とにかくやることはごまんとある。世界で(ジェンダーギャップ指数が)120位だよ、恥ずかしいと思え。」田嶋節を炸裂させる。
倉田真由美氏が「この番組は頑張ってますよね。メイン司会が女性で。」と言うのだが田嶋氏は「そんなことない、メイン司会がどういう人かが問題だ。」と丸く収める気がなさそう。黒木アナが「ジェンダー平等の時代に頑張りますのでよろしくお願いしますね」と言うと「よろしくお願いします。」とさすがににこやかに答えた。
津田梅子の人生に心を打たれたが、その志を継いで頑張ってきた田嶋氏にもあらためて感動してしまった。
【文:境 治】
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