今回の配達先は、フランスのシャンパーニュ地方。ここでシャンパン造りに挑む大橋亮さん(43)へ、石川県で暮らす父・憲太郎さん(81)、母・豊子さん(81)、姉・香子さん(53)が届けたおもいとは―。
ワインの本場フランスでソムリエ、バーテンダーとして活躍する中…
亮さんは1年前にシャンパン醸造家に転職したばかりで、現在、メゾンと呼ばれるシャンパン醸造所の1つ「BERECHE ET FILS(ベレッシュ・エ・フィス)」で修業を積んでいる。
シャンパンは、フランス北東部に位置するシャンパーニュ地方で造られていることはもちろん、ぶどうの植え方から醸造の工程、量までが法律で定められていて、その厳格な条件を満たしたものだけがシャンパンと名乗ることができ、完成までに3年は要する。
ちょうど今は、シャンパン用のぶどうが収穫期を迎えたところ。一番いいタイミングを逃さないよう約2週間で一気に収穫するといい、亮さんも収穫のためだけに集まった約30人の助っ人と共に、50キロにもなるぶどうが入ったケースをひたすらトラックに積み上げる。メゾンに戻ると、ケース80個分のぶどうを巨大な搾り機の中に投げ入れていく。シャンパン造りはかなりの重労働で、亮さんもようやく体が慣れてきたという。
20歳でバーテンダーの道へ進んだ亮さん。ソムリエの資格も取得し、30歳で本格的にワインを勉強するため本場フランスへ渡った。そしてパリの星付きレストランでソムリエを務め、バーテンダーとしてはフランス国内の賞を受賞するなど、お酒のスペシャリストとして頂点に手が届こうとしていた。しかしそのとき、コロナ禍でフランス中のレストランが一斉に閉鎖するという事態に。そこで仕事ができなくなった亮さんは地方へ行き、ワインから日本酒までこれまでに扱ったさまざまなお酒の造り方を生産者のもとで学んだ。その中で一番心を惹かれたのが、結婚式など人生の幸せな瞬間に飲まれることが多いシャンパン。40歳を超えてシャンパン醸造家になることを決意したのだった。
妻がパリで働く平日は、2歳の息子の子育てに奮闘
1年前にパリからメゾンに近い小さな村に移り住み、今は妻の優子さん(41)、息子の檜(かい)くん(2)と3人暮らし。だが、フローリストの優子さんはパリを拠点に働いているため、平日は家で檜くんと2人きりで生活している。子育ては大変なことも多いが、亮さんは「自分のお母さんはめちゃめちゃ怖かったけど、愛情をかけてくれていたと思う。親になって初めて親の気持ちがわかりますね」と話す。
自分のやりたいことにまっすぐな生き方は、何でも自由にさせてくれた両親の影響が大きかったという。そんな亮さんが40歳を過ぎてシャンパン造りに挑む姿を見て、姉・香子さんは「バーテンダーのときの華奢な印象と全然違う」と変化に驚く。さらに、2歳の子どもと向き合う親としての息子に父・憲太郎さんは「立派ですね」と感心。「昔は怖かった」と言われた母・豊子さんは苦笑しながらも、子育ての大変さを懐かしんでいる様子だ。
自分のシャンパンを世界中に届けるため修業する息子へ、両親からの届け物は―
2週間に及ぶ収穫が終了したこの日、スタッフ一同と労をねぎらい、シャンパンで乾杯した亮さん。今後については、「第1ゴールは自分のシャンパンを造って親に飲ませること。そこまでは最低でもいきたい」と意気込む。そのためには少なくとも5年はかかる見通しだが、「自分の求めるレベルのシャンパンを造って、世界中のみなさんや、日本で待っていてくれる昔からのお客様の応援に応えたい」と並々ならぬ想いを明かす。
子育てに奮闘しながら、いつか自分が手掛けたシャンパンを世界中に届けるため修業する息子へ、両親からの届け物は、幼い亮さんが寝るときに父がよく読み聞かせていた絵本。亮さんはそんな思い出の絵本を手に取り、懐かしそうに眺めていたが、ふとあるページに目を止める。そこには「’84.8.19 パパ、ママ、亮で高島屋へ行き、帰りに駸々堂(しんしんどう)にて購入」という当時の両親のメモが書き込まれていた。それを見た瞬間、涙があふれ出し言葉を失う亮さん。実は、檜くんに毎月プレゼントしている絵本にも、両親が書いたものとそっくりなメモを記していたのだ。子どもへの気持ちが親と同じだったと知り、亮さんは感極まる。一方、「Le Champagne(ル シャンパーニュ) Ryo Ohashiをいただくまで生き続けるぞ!!」という両親からの手紙には笑顔を見せ、「シャンパンを届けられるように頑張ります」と決意を新たにするのだった。
ワインの本場フランスでソムリエ、バーテンダーとして活躍する中…
亮さんは1年前にシャンパン醸造家に転職したばかりで、現在、メゾンと呼ばれるシャンパン醸造所の1つ「BERECHE ET FILS(ベレッシュ・エ・フィス)」で修業を積んでいる。
シャンパンは、フランス北東部に位置するシャンパーニュ地方で造られていることはもちろん、ぶどうの植え方から醸造の工程、量までが法律で定められていて、その厳格な条件を満たしたものだけがシャンパンと名乗ることができ、完成までに3年は要する。
ちょうど今は、シャンパン用のぶどうが収穫期を迎えたところ。一番いいタイミングを逃さないよう約2週間で一気に収穫するといい、亮さんも収穫のためだけに集まった約30人の助っ人と共に、50キロにもなるぶどうが入ったケースをひたすらトラックに積み上げる。メゾンに戻ると、ケース80個分のぶどうを巨大な搾り機の中に投げ入れていく。シャンパン造りはかなりの重労働で、亮さんもようやく体が慣れてきたという。
20歳でバーテンダーの道へ進んだ亮さん。ソムリエの資格も取得し、30歳で本格的にワインを勉強するため本場フランスへ渡った。そしてパリの星付きレストランでソムリエを務め、バーテンダーとしてはフランス国内の賞を受賞するなど、お酒のスペシャリストとして頂点に手が届こうとしていた。しかしそのとき、コロナ禍でフランス中のレストランが一斉に閉鎖するという事態に。そこで仕事ができなくなった亮さんは地方へ行き、ワインから日本酒までこれまでに扱ったさまざまなお酒の造り方を生産者のもとで学んだ。その中で一番心を惹かれたのが、結婚式など人生の幸せな瞬間に飲まれることが多いシャンパン。40歳を超えてシャンパン醸造家になることを決意したのだった。
妻がパリで働く平日は、2歳の息子の子育てに奮闘
1年前にパリからメゾンに近い小さな村に移り住み、今は妻の優子さん(41)、息子の檜(かい)くん(2)と3人暮らし。だが、フローリストの優子さんはパリを拠点に働いているため、平日は家で檜くんと2人きりで生活している。子育ては大変なことも多いが、亮さんは「自分のお母さんはめちゃめちゃ怖かったけど、愛情をかけてくれていたと思う。親になって初めて親の気持ちがわかりますね」と話す。
自分のやりたいことにまっすぐな生き方は、何でも自由にさせてくれた両親の影響が大きかったという。そんな亮さんが40歳を過ぎてシャンパン造りに挑む姿を見て、姉・香子さんは「バーテンダーのときの華奢な印象と全然違う」と変化に驚く。さらに、2歳の子どもと向き合う親としての息子に父・憲太郎さんは「立派ですね」と感心。「昔は怖かった」と言われた母・豊子さんは苦笑しながらも、子育ての大変さを懐かしんでいる様子だ。
自分のシャンパンを世界中に届けるため修業する息子へ、両親からの届け物は―
2週間に及ぶ収穫が終了したこの日、スタッフ一同と労をねぎらい、シャンパンで乾杯した亮さん。今後については、「第1ゴールは自分のシャンパンを造って親に飲ませること。そこまでは最低でもいきたい」と意気込む。そのためには少なくとも5年はかかる見通しだが、「自分の求めるレベルのシャンパンを造って、世界中のみなさんや、日本で待っていてくれる昔からのお客様の応援に応えたい」と並々ならぬ想いを明かす。
子育てに奮闘しながら、いつか自分が手掛けたシャンパンを世界中に届けるため修業する息子へ、両親からの届け物は、幼い亮さんが寝るときに父がよく読み聞かせていた絵本。亮さんはそんな思い出の絵本を手に取り、懐かしそうに眺めていたが、ふとあるページに目を止める。そこには「’84.8.19 パパ、ママ、亮で高島屋へ行き、帰りに駸々堂(しんしんどう)にて購入」という当時の両親のメモが書き込まれていた。それを見た瞬間、涙があふれ出し言葉を失う亮さん。実は、檜くんに毎月プレゼントしている絵本にも、両親が書いたものとそっくりなメモを記していたのだ。子どもへの気持ちが親と同じだったと知り、亮さんは感極まる。一方、「Le Champagne(ル シャンパーニュ) Ryo Ohashiをいただくまで生き続けるぞ!!」という両親からの手紙には笑顔を見せ、「シャンパンを届けられるように頑張ります」と決意を新たにするのだった。